40歳曲がり角説~これで私はパニック障害になりました~
40歳で起きたこれだけのこと
人体は40年で車検が切れる。
そんな説があるらしいです。
健康な人でも、40歳になるといろいろなところにガタが来ると。
私は現在43歳ですが、まさに実感しております。
ゆるやかに年を取って、徐々に調子が悪くなるというより、フリーフォール並みに急降下して、30代と40代ではまるで別人かと思ってしまうほど。
私の場合、体調面だけでなく、自分では如何ともしがたい重大な変化が、39~40歳の頃にいくつも折り重なったということもありました。
その重大な変化が、さらに体調に影響を与えたという側面もあります。
今回は、私の身に起きた人生の転換期、40歳の誕生日を挟んだ1年間のことを書きます。
熊本地震
私が40歳を迎える年の4月、熊本地震を経験しました。
本当にリアルに、「死ぬかもしれない」という恐怖を味わいました。
余震・本震と2度経験していますが、その後も震度5〜6クラスが何度も襲ったので、その度にスマホのアラームが鳴り、身の安全を守る行動を取らねばなりませんでした。
それから、大きな災害を経験したことがある人ならわかると思うのですが、「今日からどうやって暮らしていけばいいんだろう」という、途方もない状態に陥ってしまうのです。
ライフラインが寸断され、流通もストップしてしまうと、今日、どこで寝ればいいのか、食料はどこで調達できるのか、トイレはどうするのか、通れる道はどこなのか……。
そんな、日常の当たり前のことひとつひとつが、何もできなくなってしまうという異常事態。
その上、私はこの時、妊娠7ヶ月でした。
身重の体に加えて、当時2歳の長女もいました。
当時の熊本の人はみんな、家が壊れていない人でも、天井が落ちてきそうで怖くて、屋根のあるところでは眠れず車中泊をしていました。
小さい子どもと妊婦が、そのような生活を長く続けるのは過酷すぎるため、私と長女は、隣県の私の実家に避難することにしました。
それで、ひとまずは身の安全を確保できたのですが、夫は熊本で仕事を続けなくてはなりませんでした。
実家まで私たちを送ってくれた夫が、仕事に戻るため熊本に帰って行くのを見送るのは、本当に辛かったです。
その時点では、まだ大きな地震が一日に何度も襲ってきていたので、熊本で無事でいられるのか、命の保証がないような気持ちでした。
もしかしたら、これが最後の別れになってしまうかもしれない、と思っていました。
大げさでなく、地震の体験はそれほどまでにリアルに、「命」「死」というものを感じさせました。
帝王切開でパニック障害発症
そして、避難生活から熊本に戻った7月、次女を出産しました。
長女を帝王切開で産んでいるので、次女も帝王切開でした。
この次女の帝王切開の手術の時、最初のパニック発作が起きました。
その時には、これがパニック発作だという自覚はありませんでしたが、今思い返せば、この時が最初だと言えます。
帝王切開前にも、(これも今思えば)パニックを起こしそうな兆候はあったのです。
長女が緊急帝王切開で、帝王切開に対する何の予備知識も心構えもなく、いきなりお腹を切られたので、その時の光景がトラウマとなって、何度もフラッシュバックしていました。
麻酔の効きが悪く、お腹を切られたり縫われたりしている時の感覚があったことも、恐怖心を増大させていました。
そして再度、出産当日の夜にもパニック発作がありました。
当時は、これがパニック発作だという自覚がなく、硬膜外麻酔のせいで動悸が激しくなっていると思い、その恐怖心から、硬膜外麻酔の投与を中止してもらいました。
当然、切ったお腹が激しく痛み出しましたが、その痛みよりも、パニックの恐怖のほうが勝っていました。
長女の発達障害
長女の発達障害がわかったのも、同じ年です。
熊本地震でリアルに命の危険と向き合い、夫と離れて避難生活を送り、その後次女を出産し、パニック障害を発症した中、長女の発達障害という問題も受け止めなくてはなりませんでした。
長女の将来を心配したり、発達障害の問題行動に困惑したりといった精神的な負担のほかにも、児童発達支援を受けるために行政手続きをするなど、現実的な行動も取らなければなりませんでした。
育休退園で地獄
そして、私の中でトドメを刺したのが、長女の育休退園です。
次女の出産当時、長女は保育園に通っていましたが、私の住んでいる自治体では、育児休業を取ると、未満児(0歳~2歳児クラス)は退園しなければならないという制度になっていました。
産休中は預かってもらえるので、産休から育休に切り替わる9月末で、長女は保育園を退園しました。
その後が、地獄でした。
睡眠不足でへろへろになりながら生後数ヶ月の次女の育児をし、イヤイヤ期と赤ちゃん返りのダブルパンチで、着替えひとつもバトリながらの3歳長女を、一日中ひとりで相手しなければならず、それに加えて日々の家事。
仕事中の夫に、泣きながら「しんどい」「死ぬ」「もう無理」と何度LINEしたかわかりません。
当時、この「育休退園」を巡って、お母さんたちが自治体を相手取って提訴するなど、社会問題化していました。
もうホントに、なんで育休退園しないといけないのか、意味がわかりませんでした。
追い詰められすぎて、私は市長宛に要望のメールを送ったくらいです。
メールを送った4ヶ月後の翌年4月に、この育休退園の制度は廃止されて、育休期間中も退園しなくてもいいことになりましたが、私はその時点で育休を終えて仕事復帰することになっていましたので、自分自身にはまったく関係のない話でした。
私がメールしたから廃止になったとかいうことでもなく、そもそも、社会問題化していたことから、廃止するという方向にはなっていたので、私としては、「今さら廃止されても、時すでに遅し」という気分でした。
この頃から、私はいつも、発表会の前日みたいな、心臓が押しつぶされそうな焦燥感・不安感・緊張感に襲われて、激しい動悸で眠れない日々が続いていました。
それから、起きている間中、「私は何か大きな病気なのではないか」「今、死んでしまったらどうしよう」「死にたくない」という思念が常に頭から離れませんでした。
病院を何軒もはしごしても体に異常は見つからず、心療内科で全般性不安障害と診断されました。
曲がり角を曲がったら
これらの出来事が、40歳の誕生日を挟む1年の間に、立て続けに起きました。
これらのことをひとつに括るとしたら、簡単に言えば「ストレス」です。
何軒もはしごした病院で、その都度、どこも異常がないので、どの病院でも最後に医師が言う言葉が、「最近、何かストレスを感じることはありませんでしたか?」でした。
当時は麻痺していたのか、「ストレス……あったかな?」と首をひねってしまっていましたが、こうやって振り返ってみると、ストレスしかない1年でした。
もともとやせ型なのに体重がどんどん落ちて、最悪30kg台までになりました。
せっかく復帰した仕事も続けられず、退職しました。
パニック発作もたびたび起き、救急車を呼んでしまったこともあります(すみません)。
40歳を過ぎて、健康を維持するためには努力しなければいけない年齢になった上に、立て続けのストレス。
医師が言うには、脳の一部が、クラッシュしてしまったんじゃないかと。
このクラッシュ、おそらく、以前の状態には回復しないんですね。
この状態と、いかにうまく付き合っていくかが、今後の人生になっていくと思います。
曲がり角をカクッと曲がったこれからの人生、どうやって生きていきましょうかね……(白目)。