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ワンオペで死んだ私と知らぬ間にずっと死んでた旦那の話

2022年3月4日〜3月19日。約2週間もの間、私はワンオペを言い渡された。それは突然だった。でも、それでも「行ってきていいよ」の一言が言えた私は、妙に胸が躍っていた。

娘が産まれて、旦那と一緒に育休を始めて半年と1ヶ月が経とうとしている。旦那と
娘と一緒に過ごしてきた時間は貴重でかけがえのない大切な思い出になったし、毎日しんどいと思うことはなかった。けれど、常に自由になりたいと思っていた。娘の授乳だけは私の仕事だった。せめて、それ以外の時間だけでも。旦那と一緒で助かっている一方、ずっと一緒にいる息苦しさを感じていた。

そんな時、旦那が東京とタイに行く用事があった。私は好機だと思った。けれどネックなのはその期間だった。2週間。娘が産まれて、1週間の入院以外で旦那と離れたことがなかった。生後半年、初めてのワンオペーーーーーーー 当然、不安がないわけじゃなかった。けれど、ワクワクもした。そんな思いだったけれど終わった時、旦那にあんなにも不満をぶつけることになるとは思いもしなかった。

ワンオペの正体

私は、出産のために東北の地元に帰省し生後7ヶ月になる今日まで実家(正しくは同じ敷地の別の家)に住んでいる。旦那はフルリモートの仕事故に出産前からついてきてくれて、今日まで育休を取って一緒に娘の育児をしている。実家の父と母は毎日仕事で帰りが遅く、娘が寝たころに一緒に食事をしてくれた。

日中のワンオペは、事実だけを並べたら、育児をしたことのない人から見たらきっと「何が大変なのか」と思われるのだと思う。作った補完食を(私が見ていながら)ぶちまけられたり、どこから入手したのか不明な大きな埃を食べようとしていたり、車の中でギャンギャン泣かれたりと、朝6時の起床から就寝19時までの時間をずっと娘と過ごしていた。

大量に買った冷凍食品、出来合いの補完食、かぶせるタイプの服を新調し、このための備えで出費は優に1万円を超えた。毎日娘と一緒に過ごす日々は幸せだった。しんどさを感じる暇もなかった。夢中で育児をしていたーーーーーーーーー。そう、無我夢中だった。

いつしか、ワンオペの時にやりたいことリストは頭から消えていた。事業案を詰めたり、新規企画を数件考えて企画書にまとめようと思っていた。久々にnoteの更新もしたかった。けれど、結局私はTVerでやってた過去のドラマを見漁ってただけだった。

無心だった。考えることすら、できなかった。常に視界の端にはいつ何を仕出かすかわからない生後間もない赤子が地べたを這いつくばっている。3分置きに泣き出す、どのおもちゃがいいか話しかける、抱きあげてあやす、それの繰り返し。何かを考える時間なんて微塵もなかった。おかげで娘の行動パターンがわかるようになった。眠い仕草も、1日のリズムもできた。けれど、私自身のことは何一つとしてできなかった。

そうか、常に視界の端で赤ちゃんを捉えている、これがワンオペがしんどい所以。これが、ワンオペなのだ。


帰ってきた旦那

旦那が帰ってくる頃、日本の岩手県では震度6強の地震が起き、東北地方全体が災害に見舞われた。幸い私の住んでいる地域は被害がなかったが、旦那が帰ってくる日に新幹線がストップし公共交通機関が大幅に乱れた。しかし翌日、運よく1席だけ飛行機が取れて帰ってくる日が確定した。その時だった。体が火照る感じがした。
頭痛がする、なんとなく身体中がだるく重い。念のためにと熱を測ったところ37度あった。トイレに駆け込むと、真っ赤な跡があり、2週間遅れて生理が来たのだと分かった。ワンオペに意気込んだ結果、私は生理すら気力で遅らせたのだと分かった。我ながらすごい精神力でやってきたのだと感心すらした。

旦那は私のそんな苦労すら気に留めず、真っ先に娘と2週間を埋めるようにずっと離れまいと抱っこしていた。その瞬間はとても微笑ましかった。

しかし、その日の夕方、旦那は少し眠いと言い2時間ほど仮眠をとった。娘のお風呂の時間、夕方の補完食、寝かしつけ、全てやらずに寝た。青天の霹靂だ。やっとワンオペから解放されたと思った矢先の失望、なんで自分のタイミングで自分のやりたいことしてるわけ?ーーーーーー

「こんなんだったらずっとワンオペでよかった」

こう思うには十分なくらい、私は疲れ切っていた。そしてその日の夜、信じられない言葉を食らうことになるのだった。



里帰りしてたらワンオペは当然なの?


私たちにはずっと噛み合わないタブーな話題がある。それが里帰り後どこに住むか問題だ。地元に住みたい私と、東京に帰りたい旦那。私たちの主張は交わることなく、娘が産まれて半年経った今でも平行線を辿っていた。
この日の夜、娘を寝かしつけ旦那が起きてきた後、口論になったのだ。2週間どんなふうにお互い過ごしたのか、楽しい話をしていたつもりが、いつしか私が楽ばかりしていたと決めて話すような旦那の態度に違和感を覚え始めた。その違和感が、確かなものになった時、彼は私にこう言ったのだ。

「もし東京に住んでいたら、2週間も家を空けることはなかった。里帰りを選んだんだのなら、ワンオペして当然だろう」

背信棄義な言葉だった。これまで築いてきた信頼が一気に損なわれるような気持ちになった。
自分で選んで実家の近くに住み、ワンオペとは言っても手伝ってもらえる環境で十分羽根を伸ばしたのだろう、実際に元気そうだし楽しかったんだろう、そんなことを言った。

言わずにいられなかった。私が努めて快く送り出したこと、苦しかったことも楽しく乗り越えたこと、結果何も得られなかったことーーーーー。そして、帰ってきて早速の体たらくに心底呆れていると、てめえの父親としての当事者意識が足りなさすぎると、そもそも家を空けられるのは誰のおかげで誰に感謝するべきなのかと、思いつく限りの言葉で相手を非難した。

そしてこの夜、深くお互い傷つけ合って同時に、お互いが何に対して苦しく感じているのか、なぜ住む場所でいつも喧嘩になるのか、そんな真相を話し合えるキッカケでもあった。

父親としての当事者意識がないっていう正論

娘のことを考えた育児をしやすい環境に身を置きたい私。現代家庭は一般的に共働きで子育てをしなくてはならず、両親のサポートがなければお金を払ってシッターを雇う時代。でも我が家にはそんな余裕はなく、今後の家庭を考えた時に実家との関係が友好ならば手伝ってもらわない手はない、と考えている。

一方で、旦那はずっと「自分」が主語だった。
私の地元には縁もゆかりもないけれどついてきてくれた旦那。友達はいないが、多趣味なので一日中サーフィンやスノボに出かける日が続くこともあった。本人はそれで楽しそうだし、私もそれでいいと思った。これまでに出てくる「東京の一等地に住みたい」だの「自分の趣味の都合が付けられる場所に住みたい」「東京に帰りたい」という彼の主張は、なんて自分勝手な主張なんだろうと思った。

父になったのに、どうして娘の人生を考えられないんだろう。
父親のくせに、なんで男は当事者意識が持てないんだろう。

ーーーーーーーーーしかし、違ったのだ。旦那は東京に帰りたい、のではなかった。「私の両親と一緒に住みたくな」かったのだ。

けれど、そう言ったら私が傷つくから、娘にとって良い環境なのはわかる、けれど。自分が限界なんだと、そう静かに涙ながらに話した。

これまで私が彼にぶつけていた正論は、どれほどに彼を傷つけ、直接私に言えなかった彼を非難しただろう。私自身、正論を振り翳されて弱い立場に追いやられたことがある。正論は時に人を傷つけ、自分の主張を正当化する手段になる。相手の意見を聞かなくなってしまう。私は、きっと彼に対して父親として自覚がない、という正論で何度も傷つけてしまった。

初めてちゃんと彼の言葉を聞いた。彼は東京に帰りたかったのではなく、私と娘と3人で暮らしたかった。それだけのことだったのに、半年もの間、すれ違ってしまったと思う。

魔のワンオペが教えてくれたこと

私たちは、今まで触れられなかった「住むところ問題」にようやく決着がつけられた。
実際問題、親の手を借りない選択は厳しい。だから、シッターを雇ったり地域として子育てがしやすく、できるだけ固定費にお金がかからない地域に住もうと決めた。
それは東京の一等地でもなければ、駅近でもないけれど、私たちが将来の目標のために暮らせる一番いい選択。

私は、ワンオペで極限の状態にいつの間にか達していたのだろう。いつもなら激昂しないところで、相手を正論で言い負かすような態度をとったのは自分でも驚きだった。
けれど、彼の優しさに気づかず、彼の弱さも認められずにいたかもしれない。だから、私たちの正解を突き止めることにした。

まだ住むところは決まっていない。
この後どんな仕事をするかも知れない。
またワンオペをしたら、次こそ旦那をぶん殴ってしまうかも知れない。

けれど、今の選択にちょっとワクワクするし、少しだけ良いかもと思ってる。

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