見出し画像

1年間「毎日書く」ことから得たもの

丸1年の毎日更新をやってみた後、投稿をお休みしている間「『毎日』書くことで得られるもの」について、あらためて考えていました。

noteを書くことは私にとって仕事ではないので、別に毎日だろうがなかろうが、なんでもいいもの。実際、始まりは「仕事に何かいい影響があるかも」「しんどくなったらやめるか」なんて、ぼんやりした気持ちでいました。

でも続けていくなかで「『毎日』と自分に課すことで得られるものは間違いなくある」と徐々に確信できるようになったのです。それをどう言語化しようか悩んだ時期を経て、やっとうまく言えそうになので言葉にしてみます。

「毎日」「2日に1回」など高めの更新頻度を設定している場合「今日は書くことが浮かばない」と壁にぶつかる日もあるはずです。

私も「これ書くぞ!」とネタがある日は楽しくて仕方なかったけれど「やばい日」も結構あったのが正直なところ。もしも毎日更新と決めていなければ、何も書かずにその日を終えていたかもしれません。

でも、そんなときこそ「何か書く」ことに、毎日更新の大きな意味があるように思います。

書きたいことが見つからない。そんなときは、自ら探しにいきます。どこから発想を持ってこよう。あの何気ない出来事、もう少し深掘りできないかな。最近気になってるアレ、これを機にもうちょっと調べてみるか。

そんな試行錯誤の結果、普段は自然に発想できないようなアイデアが生まれることがあります。これは「書けない」という壁にぶつかるのと同時に生まれるチャンスだと思うのです。

以前、佐久間宣行さん著『ずるい仕事術』を読みました。佐久間さんは番組企画をコンスタントに立案する生活を続けています。画期的なアイデアを出し続けるための発想法を自分で編み出し、それを活用して新たな企画を考えることを、日々のルーティーンとして仕組み化しているそうです。

「何もない」と思うところをスタートに、アイデアを自分から探しにいく。そういう貪欲な姿勢からしか生まれない新しい発想、思いがけないアイデア、「これもやってみるか!」という冒険心は確かにあります。

noteもあえて「毎日」と課すことで壁にぶつかる分、新しい発想を生み出すチャンスや挑戦の場が増える。それが、自覚していなかった自分の新たな可能性の発見につながることもあります。

私も「毎日じゃなかったら書いてないな」なんて記事も多く、そこから「意外とこういうお話は共感してもらえるんだ」「このジャンルの執筆も挑戦したいかも」「もっとこの内容深く学んでみたいな」と、視野が広がった経験は少なくありません。

毎日更新には、他にも多くのメリットを感じました。でも私としては、こうして「自分の可能性が広がること」が最も思いがけない、大きな恩恵だったと感じています。

もちろんnoteは自由な表現の場なので、向き合い方も楽しみ方も、そこに抱く感情もどんな意味を見出すかも人それぞれです。

「何かいいことあるといいな」そんな気持ちでnoteを始めた私にとっては、毎日更新を通じて新しい可能性にたくさん出会えたことは十分「いいこと」だったと思います。決して楽ではなかったけれど、その分「これからもずっと大事にしていきたいな」と思うことを得られた1年間でした。

この記事が参加している募集

#noteでよかったこと

48,726件

#note感想文

10,712件

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。いただきましたサポートは、自己研鑽やライター活動費として使用させていただきます。