「言葉と出会う」という感覚について
今日は最近自分がよく感じる「言葉と出会う」という感覚について、今の考えをまとめたいと思います。
私たちは無意識に、考え事を頭に巡らせてしまう生き物です。その中には、うまく言葉を当てはめることができなかったり、納得いくように整理するには時間が必要だったりするものもあります。
そうして簡単に言葉にできないことや、ほんのり抱いた違和感や感情をときに「モヤモヤ」と呼びながら、心の片隅にずっと置いたまま毎日を送っては、外から新しい情報を享受し続けるような日々です。
しかし何かの拍子に、そんな「モヤモヤ」が一気に解消されることがあります。そのきっかけは人との会話であったり、SNSやネットで見つけた会ったこともない人の発信だったりする。
自分の中では見つからなかった感情や違和感の名前、理由、詳細。代わりに誰かが言葉にして自分に提示してくれた途端、それまで「モヤモヤ」でしかなかったものの正体が明らかになり、すっとする感覚を覚えます。
最初、この感覚を「共感」として片付けようとしたんです。だけど、なにかが違う。確かに同じ考え方であるという意味では共感だけど、共感よりもずっと手前の段階というか……
だからこれを「共感」と一括りにするのは勿体ない。それよりも単に「それまで見つからなかった言葉に出会った」という表現のほうが、しっくりくる気がするんです。
心の中に「モヤモヤ」が募るとまず、自分の中に答えを探しに行く。そこで答えが見つかることもありますが、意外と自分以外の誰かのおかげで、探している言葉に出会えることも結構あります。
最近特に、いろんな人の意見や考えに触れるなかで「あ、出会った」という感覚になることが多くある。もっともっとインプットして、自分の「モヤモヤ」を晴らすいろんな言葉を探してみたいと思う今日この頃です。
そして、人がなかなか見つけられない感情や思考にぴったりな言葉を一生懸命探して、皆が探している言葉と出会える場を作ることも、ライターの一つの役割なのかもしれません。
そう考えると、この「言葉と出会う」感覚はすごく大事なもの。インプットを通じてたくさんの言葉に出会い、それを生かしたアウトプットをして、誰かが探している言葉と出会える場を作る。そんな風に循環させることができたら、素敵だなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。いただきましたサポートは、自己研鑽やライター活動費として使用させていただきます。