自意識過剰じゃないですか?
英語が喋れるようになりたいと思い英語学習している人は、今一度自意識過剰になりすぎていないか確認してみて欲しい。
と、いうのも日本の中で日本の情報のみに触れていると、外国における「日本」の印象を結構勘違いしたり誤解しやすいような気がするからだ。
たぶんだけど、大部分の人は日本と接点がない外国人と英語で接する機会はないだろうと思う。
それなので、英語力を上げさえすれば会話できて自分に注目してくれるなんて勝手に思ってしまう。日本語が話せたら無条件に日本人の誰とでも円滑にコミュニケーションできる訳ではないのに、なぜそう思ってしまうのか。
日本に接点が何ひとつない外国人にとっては、ただちょっと知り合うことになった程度で、そこまであなたに興味を持たないのが大半だ。しかも、何処の国の人か正直見分けもつかないだろう。アジア人という括りでしか分からない。
日本発のメディアやSNS投稿を見ていると、どうしても日本がかなり興味を抱かれていると錯覚しがちだろう。なぜなら、そこにはそもそも日本となんらかのキッカケで接点を持っている人が集いやすいためだ。
海外にも日本で有名なコンテンツは、存在する。
キティちゃん。マリオ。ポケモン。悟空……
数えればキリがない。それらの愛好家もいる。
けれども、忘れちゃいけないのが、全員が愛好家ではないという事実だ。しかも、好きな人でもそれが日本発と知らない人さえ存在する。
キティちゃん好きが、そのまま「日本が好き。」「日本に興味がある。」「日本を知っている。」に必ず結びついている訳ではないのだ。
日本のTVは、日本大好きで東京、大阪、京都などに来日する外国人属性をしばしば取り上げる。そして、すごい興味を持たれているとある意味「広報」している。
けれど、観光しているからといって、それだけで全員が日本大好きでその土地がすごく人気で、日本に興味があり、日本を知りたくて訪ねていると勘違いしてしまうのは、一般人の感覚とはかなりずれているのだ。
多くの人は長期休暇中に旅行する時は、予算や手軽さ新しい何かを求めて旅先を選んでいる。そこにたまたま候補として、マリオがいるUSJ に寄ろうとなるかもしれない。それくらいの感覚が、一般的傾向になる。
「日本人である我々を相手が意識している。」
そう無条件で思うとしたら、外国ではちょっと自意識過剰すぎると思って丁度良い具合だ。
“我々とちょっと違う。
アジアの何処かの国だな。”
くらいの人もいるし、その中の人は、実際に日本が何処にあるかも知らない。ましてや地名さえ興味がない。そんな程度の感覚。
特に日本と接点がない人はそんな雰囲気。
英語力を上げた!
外国人に混ざった!
話しても反応がイマイチだ……
これがウケるはずだ!言ってみよう!
反応が薄い……
日本人だからかな……興味ないのかな……
こういう流れは、かなり的外れ。
ただの自意識過剰である。
日本人の中でさえも、日本語で何か言えば必ず相手が興味を抱く訳ではないから当然である。
相手が、
日本は素晴らしい!
TOKYO! SUMO!POKEMON!
とかなんとか言ってくれたとする。
そんな時は、相手が好意的に反応してくれて嬉しいなあ程度に留めるのが健全だ。
知ってる言葉を挙げてサービスしてくれている。その事実だけを捉え、それ以外の何かを気にするのは意識が過剰である。
英語学習のみし話しかける。それだけで反応が薄いといちいちショックを受ける人がいる。だいぶ、的外れである。
日本では日本語さえ使えば誰でも良い反応がくるのですか?
英語を話せば、相手が意識を必ず向けてくれる。そう考えること自体、異様である。何のきっかけもないのに興味を向けてくる方が、自然に反している。
そういった類いの自意識過剰をまず捨てた方がコミュニケーションが上手くいく人は結構いるのではないか。そんな気がする。
英会話練習している人は、
“自意識過剰じゃないですか?”
をたまに自問自答してみるのも良いかもしれない。
ー
英語を使えるようにするための考え方など、まとめています。
↓
ー
EG英語カウンセリングは、マンツーマンオンラインで英語学習指導を行います。大手より安く柔軟性がある対応が強みです。
コースについてのご要望、ご質問はこちらへ。
クリックのみで、電子版パンフレットも入手可能です!
↓