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果たして謙遜は通じるのか

日本人は褒められた時に、それに対して否定してしまう人がいます。もっとそれが過剰な人だと、一生懸命にどこが良くないか説明する人さえいます。

例を挙げると、

「いや、そんな事ないよ」

「え?そうなの?別に全然良くないけどね」

「そうかなぁ。全然ダメだけど」

みたいな感じかなと…。

そこで問題があります。果たしてこのような謙遜は通じるのかという事。
そして言われた人がどう感じるかという事。

私自身、日本で生まれた日本人で日本語で育ってきましたが、これはとても難しい事だなぁと感じます。

自分の事を言えば、私は人を褒める時に思ってもいない事は言わないようにしています。

人間関係を円滑にするために、みんなで褒めようみたいな空気が広まるのはすごい良い事と思います。良いとこ見つけたら、言い合えるようになれば気持ちが良い事と思います。

けれどもその反面で、それが形式みたいになるのは違う。おそらくですが、日本は「和」の文化があるのでそうなりやすいんです。

そこに思ってもいない事をあまりにも言う人がいるとやっぱり何処かで口と行動が違ってくる。発言に信頼感が得られにくいんですね。
それで、素直に褒められても斜めに構えてしまい本当なのか?みたいな疑いが出てくる人も出現する。

これハイコンテクスト文化の欠陥なんです。

壁を取り払いにくい、ずっと探り合いみたいになる。なんだか風通しが悪いんです。

そんなこんなで疑ってるから、本心で謙遜じゃなくても、上のような言葉を言う人がいる訳なんですよね。すごく見分けるのが難しい。

私は多分だけど、色んな人と接するうちに、そして英語と言う他言語を学んでる間にそんな事に気づいたんです。

だから、私は人を褒めるときは心に響いてそう感じた時しか言わないようにするのが良いなと思ってきました。
そうなってこれば、ちゃんと相手の褒めたい部分を探すという事が習慣になってきます。的外れではいけないので。

英語圏に暮らすと、日本と比べて大変みんな褒めあっています。
そして、そのままの意味で捉えてポジティブに返事をする人がめちゃくちゃ多い。

「ありがとう」とかのお礼を言う。

感情を説明する
ー言われて恥ずかしい。嬉しいなどなど。

ちょっと違うなと思えば、説明にポジティブな事を添えて言う。

「ありがとう。けど、まだ自分では満足してないからもっと上手くできるようにするよ。」

みたいな感じ。


まあごく稀に謙遜する人もいるんだけど、その場合にはすごくハッキリ言う人もいるんです。

「ちょっと謙遜するけどね……」みたいなフレーズを本当にいう人さえいるんです。まあ、文化的背景が違う人とコミュニケーションしてきた人だったら自然とそうなるかと思います。説明しないと理解されないし誤解も多いので。

それに言ってる事に疑いがあって心理的な壁が取れてれば

「どうせ、媚び売ってるだろ。もー!なんも出ないぞーーー」

くらいのテンションの事を言う人さえいます。

中には、

「媚びは売らないでください。嫌いなんで」

くらいに言う人もいるんです。

まあ、それじゃないと通じないしなかなか上手くいかないので身につけた技でしょうね。その人なりの…。そして、それはその人の性格により様々なスタイルがあります。推測不可能が当たり前な環境であれば自然とそうなってくる。

そう考えると、日本語を喋っている時でさえ誤解が生じる事もあるんだから英語で日本語と同じように謙遜なんか伝えようと思ったらすごく良く分からん人に思われがちなんです。

なんだあいつは…ネガティブだなあ。

良いと思って褒めてるのに感じ悪いな…仲良くなりたくないな…。

分からないんだよなあ。〇〇は…。いつも褒めても逆のこと言ってくる…。どう言う事だ??

とかもう色々不審がられる訳ですよ。

それで、いくら英語話したとしても、“あの人の事は何考えてるか良く分からない距離を取ろう”みたいになる訳です。

中には、

「なんでそんな事言うんだ?」

みたいに聞いてくる人はいるかもしれませんが、そこまで労力を割かない人も多いでしょう。
それに聞かれても、ただの謙遜が習慣による癖になってたら説明できないですよね。

敢えて言うのなら、「文化だから」くらいでしょうか?しかし、正直それは自分都合で相手都合ではない。そこまでゴチャゴチャ説明されたい人がそんなにいるんだろうかって話になる。

じゃあ果たして謙遜は通じるのかと考えた時に、「通じないな」と結論つけた方が楽な訳です。

上にあげたように、ポジティブに返答した方が多文化の人々がごちゃ混ぜで暮らす英語圏では、うんとやりやすいコミュニケーションになります。

英語をマスターするための、いろいろです!

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