映画『アメリカン・アニマルズ』
たまたま軽い気持ちで観た、映画『アメリカン・アニマルズ』が面白かった。
これ実際に、アメリカのペンシルバニア大学で大学生が起こした強盗事件がベースになっている。
冷静に考えたら、何のロジックもない馬鹿げた話に思えるけれど、若い彼らはその反面大真面目だったのかもしれない。
刑期を終えた実在の人物のインタビューを交えていたのも、非常に興味深かった。
観る前に簡単にあらすじを読んで、大層ガラの悪い奴らが企てた悪事の話なのかと思ったら観てこれは全然違う話とすぐに分かった。
若い鬱積したエネルギーに行き場がないとどうなるか。そしてあちこちにある世の矛盾が、モヤモヤとした気持ちを湧き起こし怒りとなって破壊衝動に出た場合どうなるか?
それは時として、野生の衝動となって表に現れるのではないか…。そう思う。
超えてはいけないラインを超えてしまう人間が、できる過程を見せられた気分になった。
何処でも起こり得る話だ。特別ではない。
大した理由もなく偶然出会った彼らが、たまたま見つけた貴重な蔵書。それがいつしか目的に変わる。たまたまそこにあっただけで、それは何でも良かった。
もし、大学に入って謎のモヤモヤ感を抱かず、何も考えない集団にイライラもしなかったら発生しなかった事件。
彼らは見方を変えれば、ある種感受性が強く仕組みに疑問を抱く人々で何かを変え壊したくなったんだろう。
それで、決して起こしてはいけない犯罪を働いてしまった。
何と言ったら良いのか、もっとこのエネルギーを他の場所に使えたらどんなにか良かったのだろうかと思う。
米国は競争社会だ。そして、特別な何者かになりたい人も溢れている。
大学に行けば良い出会いが待っていて、知性がある話が出来る仲間が出来るのではないかと思っても、実際はパーティーに明け暮れコネ作りに明け暮れる空虚なイベントばかりだった。
それに元々の階級や家柄も大いに影響し、超えられない壁もあるだろうね実際は…
そこに絶望感を抱き、ぶち壊したくなる気持ちは容易に想像できる。
大きな夢が虚構だと分かり行き場のない怒りがある。そして、孤独と寂しさがある人々が集まり起こしてはいけない事をしてしまった。
ともかく面白くないし、寂しいし行き場のない気持ちがある。それはなんか分かるなと思う。
若過ぎて最大級に馬鹿げた計画を起こしてしまった彼ら。なんか痛々しくて観てて辛かった。
その反面、なんかバカげてるんだけど 笑。
エネルギッシュで、ある種繊細な若者が、社会に対して行き場のない怒りを抱いた時に超えては行けない境界を超えてしまう。
これは嘘まみれの、歪んだ場があればあるほどいつ起こってもおかしくない事だと思う。
人に野生の部分がある以上、どこかで事件が起きる可能性がある。
それがアメリカだっただけという話だろうな…
インタビューで印象深かったのは、「特別な」何者かになりたかったけどなれなかったという空虚さを抱いた人物がいる点。
自分自身が生きてるだけで良いんだよね。本来は。
そこに「特別な」意味を見出すプレッシャーを抱く必要ってそんなにあるのだろうかね?
これって一種の歪んだ社会の闇で、個人の心の病になり得るのではないだろうか?
人と比べすぎる社会は、アメリカでもあるけど日本も例外じゃないよな。ちょっと似てるところもあるなって思ってしまった。
実際に起きた話は、どんな創作物よりリアリティがあって時に目が離せなく魅力される。これはそういった部類の話。
そして、寂しさと悲しみが野性と共に暴れ出し理性を超える瞬間。何処でも起こってしまう可能性がある恐ろしい話と思った。
アメリカ、いやそれだけじゃない。
人の複雑な多面性について描いてある良作でした。
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