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一般的ってなんだろう?

大体、みんなこういうのが好きだろう。だから、こんな事を言えばいい感じに思われて、話が弾むだろうな!

そういう風に思って会話を進めようとしていませんか?

英語圏において、これほど無駄に終わる思考方法はありません。

英語は世界中の人が広く使っている言語。多民族国家では、めちゃくちゃいろんなルーツの人がいます。私が滞在したオーストラリアでもそうでした。

そこで、一般的にどんな風か推測して会話するのはとても難しい。

一般的ってなんだろう?と、

考えた事はありますか。

もちろん、話す相手の出身地や育ってきた環境。そして興味を抱く対象や性格。それらによって、大体の傾向はあります。だけど、それって知らなければ推測は不可能ですよね。

まず、世界には100か国以上はあります。そして、地域毎に特色は違う。そこに文化や育ち方、遺伝など様々な要因で性格や嗜好が形成されます。

それなのに、例えばアメリカ人はこうだ!オーストラリア人はこうだ!とか断定できるはずもない。あくまで、傾向です。しかし、その傾向だって不確かな部分はあると忘れてはいけないと思う。

何かと決めつける事をしていないか考えてみてほしい。

例えば、西オーストラリア州パースのオージー達は、雪が好きな人も結構いる。しかし、中には雪国出身者(ひょっとしたらそれ以外の人も)雪に悪い思い出がある人もいる。そんな人達は、雪が嫌いだ。

外国人には寿司が人気だと聞いても、全ての人が魚が好きなわけではないし、私達の知ってるそれとはかけ離れている事もある。
また、魚は好きでも生は気持ち悪いという人もいる。又は、魚は生も含めて好きだが酢飯が嫌いという人もいる。
じゃあ、寿司が嫌いだとしたら肉が好きだろう。そう思っても鶏肉しか食べんとかそう人もいる。

そういう嗜好は、向こうから自己開示していない限りは、こちらが聞くまでさっぱり分からない。

性格やその人の考えは違うから、勝手に決めつけられて何かしらの会話や対応を相手からされた時は対処も異なると思った方が正解だ。

勝手に決めつけられたと感じれば、説明したり文句言う人もいる。その場合はまだ理解しやすいから良いと私は考える。

しかし、中にはその場では合わせてそっとその場から去る人や線を引く人もいる。又は、勝手に決めつけられたと陰口言う人もいる。それか、訳が分からない人と会話したなと思う人もいる。
そうなれば、厄介でコミュニケーションなんて全く取れなくなってしまう。そんな人達は内向的で、フレンドリーな人達ではない。

こういう事を書いていて、いつも思うのはこれって英語圏の中だけだろうか?ということ。

日本人でさえ、育ってきた環境は違うし経験に基づき形成された性格がみな一括りにできるはずなんてないんじゃないかと思う。

だから、自分の言う“一般的”がコミュニケーションしたい相手に当てはまるかは聞かなければ正確に分からないはずだ。

一般的概念は、人によってぶれるから多数の一般的論が共存している。

じゃあ、データを見ればいいじゃないか?と言う人もいるが、本当にそうだろうか?

人に感情がある以上、主観により区分する人がいないとも分からない。
詳しい分類方法をその現場で見て尚且つその統計方法を正しく認識して初めて数がどう整理されたか分かる。どれほど正確か現場で見て初めて、理解できる筈だ。

科学分野では、再現性実験とかいうのもする。全く同じ条件で同じ実験をして同じデータが取れるかの確認をする。少なくとも、私がやってた材料分野ではそうだった。
しかし、人は材料よりも複雑な部分が多い。再現性は如何ほどか。日々、いろんな経験をして変化する部分もあるだろうに……。

統計学をどれほどの人が知っているのか?誤差範囲にブレが出ればもうそんなものどこまで正しいのか分からない。

世の中には分からない事の方が多い。ましてや、感情がありいくつもの要素により形成された人格を持つ人間を一般的概念でまとめるなんて不可能に近い。

そもそも、全ての人に当てはまる一般的は存在しない。

それを踏まえると、なるべく自己開示し相手にも心を開いてもらう努力をした方が、異文化コミュニケーションには良いと言える。

“オープンな性格”のオーストラリア人は、これがとても上手い。逆にそれ以外の人はとても閉鎖的だったし、同じような人としか群れなかった。

英語圏の人と話したければ、日本の中にいるよりもこの一般的概念が多数あるのは事実だ。

聞かなければわからない。開示しなければ相手にも分かってもらえない。そう考えた方が、対話はスムーズにいくと思う。

英語をいくら上達させても、共に相手との違いが分かりあえないようでは上手く会話など進まない。

ネーティブスピーカー同時でも、仲良くなれない人がいるのはこのためだろう。

案外と同じ文化的背景や育ち、バックグランドで固まる人も多い。

異文化理解や異なる部分を許容し合って対話してこそ、良い関係が生まれるのは事実。

特に、英語を主に使用してきている国では日本と文化がめちゃくちゃ違うから余計にオープンマインドでいなければ理解してもらえない。

そこで相手に好かれてもらおうみたいな媚び売り精神で話しても、相手が分からない以上は失敗に終わる筈だ。もしくは、表面上でしか接してもらえず永遠に相手の事も分からない。

表面上のみの対話をすれば、周囲に集まるのは浅い人達ばかりである。まあ、それを選ぶのは自由だが全然異文化コミュニケーションはできないだろう。日本人同士、尚且つ同じ価値観や性格考え方の人しか話せないとなれば英語上達は不可能に近い。

一般的ってなんだろう?

それは、人ひとりひとりが持つ概念で脆いものと考えるのが正解だろうな……。

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