消えるマジック
会社からの帰り道、見慣れないお店を見かけた。
店前のスタンド看板を見てみると、「初めての人大歓迎のマジックバー!500円前払い制」と書いてあった。
なんだか胡散臭いが、500円なら良いかと思い、入ってみることにした。
店内は薄暗く、ゆったりとしたジャズが流れている、まさに大人のバーといった雰囲気だった。店員が近くにやって来た。
「おひとり様ですか?」
「ええ、初めて来たんだけど。」
「ありがとうございます。」
「あの、本当に500円なの?」
「はい。お先に500円をいただいてからは、一切料金は発生しません。」
「ドリンクは?」
「もちろん無料です。」
怪しい。そう感じていた矢先、店員は続けてこう言ってきた。
「ただし、条件が一つだけあります。」
「…なに?」
「このバーで起こったことは、絶対に口外しないでください。マジックの種がわかってしまったら、お客さまが来なくなってしまいますから。」
「そんなこと言われると怖いんだけど。」
「ご安心ください。ここは至って普通のマジックバー。ほら、他のお客さまもたくさんお見えです。」
「……ルールはそれだけ?」
「ええ、それだけです。」
「………わかったわ。」
私は500円を店員に渡し、その店員に店内を案内してもらった。
「お鞄や貴重品はこのロッカーにお入れください。ロッカーの鍵は無くさないようお願いします。お手洗いはこちら。ドリンクはあちらのカウンターで注文してください。それから、マジックは2テーブルで行っておりますが、お好きなテーブルで楽しんでいただいて構いません。」
「随分と丁寧ね。ありがとう。」
言われた通り荷物をロッカーに預け、カクテルを受け取り、マジックを鑑賞することにした。
私の座ったテーブルには私を含めて3人、そして、髭の生えたマジシャンが座っていた。
「お客さん、初めてかな?どうも来ていただいてありがとう。」
「どうも。マジック自体、見るのは初めてなの。」
「そりゃ嬉しい。なら、そんなお姉さんのためにとっておきのマジックを見せてあげようかな。」
そう言うと、マジシャンはトランプを取り出した。
「お姉さん、『消えるマジック』はご存知ですかい?」
「トランプが消えるのかしら?」
「その通り。でも、今回トランプは1枚しか使わないよ。そうだな、ダイヤのAにしよう。お姉さんこの卓の紅一点だからね、なんてね。」
他の二人はクスクスと笑っていたが、構わず続けた。
「で、どうやってやるの?」
「お、いいねえ。それじゃお姉さん、右手出して。」
右手を出すと、マジシャンはダイヤのAを谷折りして手のひらに置き、左手で覆うよう指示してきた。
「しっかり被せといてね。指を鳴らすと、手の中のダイヤのAがどこかへ行ってしまいます。ワン・ツー・スリー!」
勢いよく指を鳴らし、左手を離してみると、折られたカードは消えていなかった。
「あら?」
「お姉さん、失敗したって思ったでしょ?」
「ええ。」
「ちゃんと聞いてたかい?俺が消すのは『ダイヤのA』だよ。このカードの表を見ていると……
……あ、あれ?」
饒舌だったマジシャンの手が止まった。おそらく、このカードが真っ白のトランプに変化するはずだったのだろう。しかし、カードはダイヤのAのままだった。
「ちょ、ちょっと待ってね。ハハハ、マジックには失敗はつきもの。もう一度やっていいかな?」
「…ええ、どうぞ。」
その後、もう一回、またもう一回やっても、ダイヤのAは消えなかった。
「…い、いやあ、参ったなあ。お姉さん、もしかしてそのタイプなのかい?」
「そのタイプ?」
「たまにね、何度やっても消えない人がいるんだよ。100人に1人もいないんだけどね。3回やっても消えないんだから、お姉さん、きっとそうなんだよ、ハハ。」
…なぜ500円なのかがわかった。ここは見習いマジシャンの練習の場だ。「口外するな」というのも、彼らのメンツを潰さないための口実。きっと、マジシャン自身もお金を払ってマジックを披露しているのだろう。
それがわかっただけでも満足だ。マジックは大失敗だったけれど、500円なら仕方ないか、とも思えた。
私は店員を呼び、帰ると伝えた。
「お客さま、もうよろしいのですか?」
「ええ、私は『カードが消えない体質』、らしいから。」
「…そうですか、ありがとうございました。気をつけてお帰りくださいませ。」
私は帰宅してシャワーを浴びた後、明日に備え早めに寝ることにした。
次の日、財布から3万円がなくなっていることに気がついた。
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