見出し画像

自分のために泣いた日

もういつからか分からないけど
男女問わず好きな人との距離の取り方が
分からなくて
人が苦手になった

友達も、異性も、
好きになって近づけば干渉して
相手を傷つけてしまう
それが怖くて距離を取ると
「俺の事好きじゃないよね?」
と言われてしまう(なぜか毎回)

私は人の愛し方が分からない人間なんだと
気づいてからは
人付き合いのスタンスは
表面だけ愛想良くして深入りはしない
相手に話題を投げかけるけど
会話を円滑にする手段なだけで
本当に知りたいわけじゃない
干渉されたくないからこっちもしない
に変わった

結局1人が楽
パーソナルスペースは広めでいい
その方が私も相手も心穏やかに過ごせる

そんな私がなぜか今年になって
人と関わりたいと思う気持ちが芽生えてしまった

そうなったら、さぁ大変!

今まで避けてきた
「人付き合い」というラスボス級の課題を
乗り越えるときだと言わんばかりに
試される現実がやって来るんです

昨日、自己嫌悪になった出来事から
私が見つけた本当の望みを
自分のためにここに書き留めておきます


大好きなのにイライラさせてくる人

自業自得
因果応報
昔からある言葉は今も真理をついている

昨日会った人は
前に働いていた会社の先輩

在職中も退職後もとてもお世話になった方です

優しくて面倒見のいい先輩なのですが
なんでやりたいことや好きなことを簡単に
諦められるんだろう?
と不思議に思うくらい
「私には無理だから」
「私はこれでいいから」
と言って行動する前に手放してしまう人

そして、私の事を自由で羨ましいと言いつつ
「それはあなたが特別な人だからできる」
と、目の前にいるのに
別世界の住人として一線ひいて見てくる人

そんな彼女に距離というか
淋しさみたいなものを感じてました

共通の趣味もあり一緒にいると楽しいし、
昨日も楽しくランチするはずだったのに
言ってしまったんです

「なんでそんな簡単に人生諦められるの?」

「以前、占いで自らドロドロの沼に浸かりに行ってると言われたのに今も自分から出ようとしてない!切り開こうとも、知ろうともしてない!」

などなど…
止められなくて…

それを言いながらものすごく
居心地の悪い気分だったんです

その理由は私自身が1番分かってた

相手を想っての言葉じゃないから

私の世界が正しくてあなたの世界は間違ってる
という「批判」の気持ちが
言葉に含まれてたから

本当はそんなこと言いたいわけじゃない
楽しく時間を過ごしたかった

けどそんな本音を無視して
彼女の生き方を否定してしまった
言い出すと止められなくて…

結果、批判した自分に自己嫌悪
たぶん一緒に居て楽しくなかったよね…
もう会うの嫌だと思ったよね…
私っていつもそうよね…
なぜか好きな人を傷つけてしまう…

彼女に対して放った
批判のエネルギーをしっかり自分で
買い取る羽目になりました

彼女を通して見えたイライラの根元とは

目の前の人は自分の鏡というのはその通りで
彼女を通して自分の中に
まだ許してないものがあるから
そこに反応してイライラしてしまったわけです

たぶんそれは、まだ就学前の幼い自分自身

人見知りで引っ込み思案な私は
いつも母の後ろに隠れて
挨拶もできない子でした

言いたいことも言えなくて
母に変わりに言ってもらう

そんな自分が嫌でした

だから、無理して変えました
人並みに初対面の人と話せるように
自分の意見を言えるように

それでも今も
初対面の人に自分から話しかけるとか
正直言って苦手
頼るのは大の苦手

勇気だしてやってるんです

その時点で内気で勇気のない
幼い頃の自分をまだ許せてない

だから大人になっても
自分の世界から踏み出そうとせず
文句を言って人に何とかしてもらおうとする人を見るとイライラしてしまうんです

本音は何なの?

本当は自分一人で頑張るのはもう嫌なんです

誰かに頼りたい
助けて欲しい
助けてって素直に言える人になりたい

それが私の本音

それを無視するから人の姿を通して
伝えようとしてくる

目の前の彼女の問題じゃなくて
私自身の問題って気づいたら

批判してしまった私に対して
嫌な顔せず話を聞いてくれた彼女には
「逆にありがとう」
と感謝の気持ちがわいてきたら
自己嫌悪も消えていきました

私は身近な人を愛せない人間?

自己嫌悪は解消できたけど
こうも距離が近くなった人に対して
自分の価値観をぶつけてしまうのはなぜか?
なぜ相手を尊重できないのか?

それは私自身に「愛」がないからだと
いつも思ってきたけど

ふと思った

逆だ!と

想いが強すぎるのかもしれない

そこにたどり着いたときに思い出したのが
母の存在です

母が私に向けてきた愛し方を
私がそのままやっていたんです

母は専業主婦で
私にとって完璧な母親

自分のことは後回しで
いつも私のため家族のため

芯が強くて、悪く言えば頑固

子供の頃は安心感そのもののような人でしたが
20代の頃はそれが重荷でした

大人になっても常に監視、干渉され
好きになった人は否定される

口を開けば「あなたのため」
「あなたが心配だから」と…

その時に感じていたことは
大人になっても心配される私は
危なっかしくて
レールをひかないと生きていけない人間で
信頼されてないんだな、と

今ではそんな愛情重めの母に対しては
心配したいからしてるんだなぁ
だったら好きなだけ心配させてあげよう!
それが親孝行だ!
と思っているので母との関係は良好ですが

まさか、母の愛し方をそのまま引き継いでいたとは思いもよらない衝撃でした

私はどうやって人を愛したいのか?

母のような愛し方は
私は苦しくて重かった
信頼されてないと感じて淋しかった

じゃあ、私はどうしたい?

そこで出た1つの答えは

私はただ信じたい
私が信じたいと思う人を無条件で信じたい

でした

それは、私が母に望んでいたこと

私は信じて見守って欲しかった
失敗しても、傷ついても
絶対大丈夫だと信じて欲しかった

人から「信じている」と言われた時に
決まって涙が出そうになるのは
一番欲しい言葉だったから

私はそうする

その在り方を決めた時
やっと何かが溶けた気がして
どうしようもなく涙が止まりませんでした



この記事が参加している募集

サポートして下さると嬉しいです!いただいたサポートはアートの制作費に使わせていただきます✨😌✨