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2022年ノルドカロットレーデン紀行#2 ~ なぜ北欧の山に向かうのか

 ツイッターで私をフォローしてくれている人は、こいつは一体何者なんだと思われることだろう。
 革靴スキー登山に拘っているだけでなく、古い時代の木製スキーや登山用品、更にはスウェーデン軍の装備にやたら詳しく、しかも実際にそれらを山で使っており、さらに重度の東方オタクときた。
 山好き、ミリタリー好き、オタクなのは間違いなさそうだが、どのカテゴリに当てはめるにしても、典型的なタイプとは言えない。
 自分でも、自分が何者なのかよく分からないというのが正直なところだ。

 北欧の山というフィールドも、海外登山の遠征先としてはきわめてマイナーである。
 特に、冬季の記録は国内ではほとんど例がない。冬の北欧の山そのものが、日本ではまだほとんど知られていない未知の世界なのだ。
 だから今回のノルドカロットレーデン遠征にしても、いきなり実際の記録に入る前に、まず北欧の山とは? なぜそこに行こうと思ったのか? といった前提部分から書き始める必要がある。
 ……書き始める必要があるのだが、自分が北欧の山を目標に定めるに至った経緯には、自分が山を始めた理由の根本的な部分が深く関わっており、それを抜きに語ることは出来ない。
 そういうわけで、少し迂遠かもしれないが、今回は筆者の自分語りにしばしお付き合いいただきたい。

スウェーデン軍との出会い

 ゼロ年代の中ごろ。
 少年時代を過ごしていた自分には、一介の中学男児としてミリタリーな武器や装備に熱中していた時期があった。いや今もか。

この一枚が人生を変えた、いや捻じ曲げた

 そんな中、当時入り浸っていた画像掲示板の軍事板で一枚の写真を目にする。
 この写真が、その後の人生を大きく変えることになったのである。
 何が刺さったのかといえば、普通の軍隊とは一線を画す、北欧センスあふれる鮮やかで幾何学的なこの迷彩柄。
 M90迷彩というのだが、これが多感なみかど少年の心を鷲掴みにしてしまったのだ。
 彼らの正体がスウェーデン軍であることを突き止めると、早速自分はインターネットを駆使してスウェーデン軍について調べ始めた。
 調べるうちに、こうした迷彩服や装備は専門店やネックオークションで手に入れられることが分かり、実際にそれらに手を出してみたりした。
 そうしていくうちに、どんどん沼にハマっていった。
 そうして湧いて来た次なる欲求が、「装備だけではなく、この人達と同じようなことをしてみたい」という憧れだった。
 そこで当時の自分が思いついた手段が、山登りだったのだ。

山始め

 普通、軍事マニアが戦争ごっこを始めたくなった時にやる事といえばサバイバルゲームだろう。
 だが自分には当時から「戦闘は歩兵の活動全体からみれば一部に過ぎず、その大部分は行軍や野営といった野外活動にあるのではないか」という変なプライドに基づいた推論があり、一中学生に過ぎない自分が手っ取り早くそれを始められる方法として思いついたのが、山登りだった。
(この推論は、長い徴兵制の伝統を持ち、軍事活動と野外活動がシームレスに繋がっている北欧アウトドア文化においては結構本質を突いていたことが後に判明するのだが、その話はまた別の機会に)。


 こうして、高校に進学した自分はハイキング部に入部して山登りを始めた。
 ここでは波長の合う顧問の先生(これがまた、重度のミリオタ)や友人達との出会いにも恵まれ、最初は近郊の日帰り低山から始まったものが、最終的には夏の日本アルプスのテント泊縦走が出来るまでに成長した。
 今に至る「スウェーデン軍への憧れに基づいた山登り」が、確立した三年間だった。
 この病にも似た探求心は、この後治まるどころかますます加速していく。

歩くスキーへの憧れ

スウェーデン軍とスキー

 スウェーデンは北欧スカンジナビア半島にあり、冬季になると、同国の軍隊は北極圏の厳しい寒さと積雪の中で活動しなければならない。
 特に印象的だったのが、雪中に溶け込む白い冬季装備と、歩くスキーだ。
 北欧はスキーの生誕地であり、彼らの使う軍用スキーも移動のための実用手段として用いられるノルディックスキーである。しかも、原始的な木製のスキーを未だに使い続けている。
 それを履いて雪の中を行軍する様子は、我々が良く知るゲレンデを滑って遊ぶためのスキーとは何もかも異なっていた。
 これもまた、たまらなくカッコよかった
 高校の三年間で夏山登山の技術を身に付け、冬山への興味が深まる中で、ごく自然にこの歩くスキーへの憧れが芽生えていく。
 高校で山に目覚めた人が、大学でいよいよ冬山の門を叩く、までは割とよくある流れだが、自分の場合、そこにスキーを用いること、という特殊な条件が加わった。
 こうして自分は、冬山登山でスキーを使っている山岳部がある大学を探し求め、紆余曲折の末に、北の大地へ飛ぶことになる。

スキー登山の事始め

北海道の山

 北の大地での経験は、自分のその後の山人生に決定的な影響を与えた。
 北海道の山は、内地――本州の山に比べなだらかで広大な山容が特徴で、標高は低くとも寒冷な点など、北欧によく似ているのだ。
 北欧の山に似た土地には、北欧に似た山文化が根付いていた。 
 その筆頭が、山スキーの常用である。

 今でこそバックカントリーブームもあって一般化した山スキーだが、この当時、内地における山スキーとは、山のエキスパートだけが嗜む神々の遊びという空気がまだ濃厚に残っていた。
 冬山のイメージといえば、昔ながらのワカンでひたすらラッセルに耐えるものだったのだ。
 だがトレースがなく、アプローチも長い北海道の原始的な冬山では、ワカンなどを履いているようでは到底お話にならない。
 そこで、山岳滑降・滑走を目的としない純然たる登山者であっても、機動力の高いスキーを履いて行動するのが当たり前だったのである。

初めて拵えた自分用のスキー。
eBayで手に入れた3000円の米軍放出板に、中古のジルブレッタを取り付けた。

 入部した山岳部の部室には、ジルブレッタという登山靴でも履けるビンディングが付いた古い山スキーが無造作に転がっていて、全くスキー経験のない新入生が人生初登山でいきなりそれを履かされるという、獅子は我が子を千尋の谷に落とすという諺を地で行くような野蛮な世界が広がっていた。
 この山スキーを、登山用のプラスチックブーツで履きこなすのが北海道流の冬山登山だったのだ。
 こうして、北の山を舞台にしたスキー登山修行の日々が始まっていく。
 それは、自衛隊を別にすれば、日本で一番冬のスウェーデン軍に近い活動だったといえるだろう。
 ついでにいえば、自分が他人の記録をなぞるだけの山をやっても意味がない、山登りにはオリジナリティが無ければならない、という面倒で厄介な本多勝一的パイオニアワーク思想を注入されてしまったのもここである。

 なお、少し話が脱線するが、戦前は本州でもスキーが冬山登山者の必需品であり必須技能だった。
 歴史的に見れば、冬山登山とスキーは渾然一体の行為だったのだ。
 それが、登山側の岩壁志向への傾斜と、スキー側のレジャー・競技スポーツ化によって、だんだん別々の営みに分かたれてしまった。
 そう考えると、本州では一度廃れてしまった古い登山形態が、辺境にある北海道ではシーラカンスのように残っていた、という興味深い側面も見えてくる。
 面白いでしょう? 登山の歴史。

海外遠征

 当初の志の通りにスキーを使った冬山登山をみっちり学んでいたところに、想像もしていない話が持ち上がってきた。
 海外遠征の計画だ。
 この山岳部では、北海道という土地柄もあって、伝統的にヒマラヤだけでなく北方や極地への指向性が強かった。
 そこで、とある北方の国の外国人未踏峰に挑戦するということになったのだ。
 この遠征にはユニークな特徴が二つあった。
 一つは、ピークハントだけでなく、長期の縦走を目的としたこと。
 もう一つは、そのためにスキーと橇という北欧と同じ極地スタイルを採用したことだ。
 事前の準備段階においては、情報収集の仕方や計画の立て方、現地の関係者とのコネクションの構築、装備・食糧の準備、煩雑な渡航手続き。
 実行に際しては、全く未知の世界の探検、日本の常識が通用しない外国人との折衝、半径数百キロに自分の生命を担保するものが何もなく、本当に生きて帰れるか分からないという緊張感の中で判断を迫られる体験など、非常に濃い経験をさせてもらった。
 さまざまなトラブルや危機に見舞われたものの、遠征は概ね成功した。
 一か月に渡る縦走で数百キロの行程を歩き通し、途中でピークを踏むことが出来たのだ。
 こうして日本に帰ってくると、今までとは少し違う自分がいた。
 海外の山は手の届かない憧れでも夢でもなく、別に行こうと思えば行けてしまう世界なのであると、感覚的に"理解って"いる自分がいたのだ。

 こうして、北欧の山に挑戦するためのお膳立てが済んだ。
 別に、最初からそこを目指して行動してきたわけでは無かった。
 漠然と、世界にはそんな場所もあるんだろうなあ、と思っているだけだった。

 だが、山登りを始め、がむしゃらにスキーを使った登山の技術を研鑽しているうちに、海外の山に行く方法まで会得していた。

 気が付くと、北欧の山に挑戦するために必要なスキルや経験を全て身につけている自分が、そこに立っていたのである。
 あとは、実際にやろうという決意さえすれば、それが出来てしまう状態にあったのだ。
 そんな状況にある人間は、恐らくいま日本ではただ一人、自分しかいない。
 こうなったらもう、実際に行ってみないわけにはいかないではないか。
 一番最初から憧れを抱いていた地、北欧の山に。

まとめ

 ここまで読んでくれた方には、自分が山に登る理由が何もかも根本的に普通とは異なっているということが分かってもらえるだろう。
 きっかけが普通の人とは違うから、やる山も、山のやり方も普通とは違っている。
 蓋を開ければそんな単純な話でしかないのだが、それを壮大なストーリー仕立てに再編集すると、今回の記事のようになる。
 そこに教訓があるとすれば、変人が変人になるまでにも変人なりの経緯がある、ということかもしれない。

 次回は、実際北欧の山とはどんな場所なのか? についてや、今回のノルドカロットレーデン遠征の前章となる、二度に渡る別の北欧遠征のことなど、より具体的で直接的なプロローグに踏み込んでいく。
 実際の遠征記録に入るには、まだもう少しだけご辛抱いただきたい。
 

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