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お母さんヒス構文と日本の貧しさの関係性について(前編)

※あくまでも筆者の個人的な見解になります。かつ、かなり批判的な論調につき、本当に関心を持っていただいた方のみご一読ください。


お母さんヒス構文という秀逸な社会風刺がある。

いつの時代から認知されたかは定かではないが、母親という生き物は、家族との口論となると、とんでもなく論理飛躍し一瞬で建設的な議論が吹き飛ばす習性を持ちがち、という認知は、既に社会通念化されているのではないだろうか。

いわゆるヒステリーというものなのであるが、会話のストロークとしては、以下のような様相である。

1.論理飛躍型
家族の発言を拡大解釈することで論理を飛躍させて問い詰めていくパターンです。
例:「猫アレルギーがひどくて、実家に帰れない→「じゃあ子猫をいますぐ捨てろっていうの?捨ててってことね。あ、じゃあ虐待するような人のところに預ければいいんだ。」」

2.論点すり替え型
今話していることとは全く関係ない別の論点を持ってきて、優位に立とうとするパターンです。
例:「外の子供がうるさい「あんたが集中してないからじゃない?だから成績伸びないのよ。あんた今お母さんのこともうるさいと思ってるでしょ」」

3.自己否定型
自身を過剰に否定することによって「そんなことないよ」を引き出そうとするパターンです。
例:「お母さんのバナナ分けて欲しい→「私はバナナも食べちゃいけないんだ それとも産後太りに対する嫌味?」」

お母さんヒス構文とは何か?【例文まとめ】 | 気になるNEWS (neetola.com)

もう、半端ない論理飛躍なのである。
筆者が幼少期から不思議だったのは、こういう会話を友達にしたら絶対嫌われ者になるはずなのに、なぜか、家族というコミュニティ内では、この扱いづらさを糾弾されにくいのである。

人間関係で、より優しくする、大切にする、という意味においては、知人、友人、恋人、家族、で強弱があることは、なんとなく理解はできるが、家族だからといって、対人関係における横暴さ”強”は許されて然るべきなのだろうか?

そして、筆者が最も問題意識を持っているのが、お母さんヒス構文が、日本全国の約1000万世帯の多くで繰り広げられてきた結果、日本の経済は貧しくなってきたのではないか、ということである。

結局、社会適応能力の開発は家庭から出発する

筆者は、機能不全家庭で育ったのだが、小学生の頃から図書館で本を借りて読む読書習慣や、中高時代の生徒会活動、大学時代のフェアトレード事業の運営、ゼミでの政策立案の研究などの活動を主体的に取り入れ、自分の性格や能力を育てる機会を主体的に獲得することで、ADHD特性を往復ビンタして矯正し、なんとかこれまで生きてきた。

自分で自分を育てる機会選択を続けたおかげで、貧乏田舎育ちであるが、大学で勉強することができ、今は外資系のコンサルティングファームで働いており、結果的に、大学時代の友人や会社の同僚は、社長や有名企業の役員の令嬢・子息、ばかりになっている。

筆者の最終ゴールは経営・事業開発の領域で仕事をしていくことであるので、まだまだ全く道半ばであるが、自分の生まれの境遇から考えると、本当に陳腐な表現で辟易するが、自分なりに”成り上がった”感はある。

筆者の大学の友人・会社の同僚の幼少期の家庭環境を聞くとかなり裕福であり、情緒面・能力面ともに開発に適切な投資を受けていることが垣間見える。
こうした投資は、親世代のそのまた上の世代の資本に裏打ちされていることが多い。こうした形のない資産の継承を”文化資本の継承”と筆者は呼んでいる。

文化資本
人は家庭環境において、まず言語能力(言語資本)を身につける
次にこれを元手にして様々な知識や能力、技術(身体化された文化資本)を手に入れ、さらにそれらを用いて学歴や資格(制度化された文化資本)を獲得する

【文化資本とは】学歴など事例から再生産の過程までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)

筆者が勤務する外資系コンサルティングファームは、予想以上に良家の子女が多く面食らったのだが、こうした職業選択や生涯年収を決定づけるファクターとして、最初の出発点になるのが、”文化資本”なのである。

文化資本は結局何に化けるのか?

読者の諸君も想像に容易いだろうが、先の世代から継承・獲得した文化資本に基づき、次世代は進学先を決定し、進学先で得た資本を元手に、就職先を決定するのである。

文化資本を土壌として獲得した資本を、”経済資本”、”社会関係資本”と呼ぶ。

経済資本
これらの文化資本を総合的に認めてもらうことで、職業(社会的地位)につき、所得(経済資本)を得ることができる
ここで、それまで蓄積された文化資本の大小によって、獲得できる経済資本が左右される
つまり、それぞれの文化資本を獲得したり、または獲得できなかったりすることで、全体としての階層分化が生じてくる

【文化資本とは】学歴など事例から再生産の過程までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)

社会関係資本
時には知り合いのつてやコネ(社会関係資本)が職務遂行上のキーとなり仕事を成功させて、信用や賞賛・昇進・昇級などの利益を得ることある
つまり、社会関係資本が自分の経済資本や文化資本を有効に活用するための資本として機能し、社会的地位の上昇・維持の戦略に貢献している

【文化資本とは】学歴など事例から再生産の過程までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)

つまり、家庭内で、世界と繋がる最初のファクターである、”言語能力”すなわち”文化資本”を獲得し、それが元手となって、次世代の人生をより豊かにしていく”経済資本”と”社会関係資本”を獲得するのが世の理なのである。

家庭での文化資本の生成・継承が国の豊かさに効いていないか?

筆者が同僚から聞く、彼らの親世代と彼らとの間に繰り広げられる会話だが、冷静で相手の立場に立って思考するゆとりを感じさせ、建設的な議論をしているように見受けられる。
少なくとも、お母さんヒス構文のような論理破綻まで至るレベルではない。

何が言いたいのかというと、お母さんヒス構文がトレンド化されているということは、広範囲の家庭で文化資本の継承を難しくするような会話が繰り広げられている可能性がある、ということではないのか。

つまり、社会における技術進化や産業の高度化に伴い、一般社会が求める言語能力や問題解決能力のレベルが従来より高まっているからこそ、お母さんヒス構文の異常さが際立ち、悪目立ちしているのである。

一方で、社会トレンド化しているということは、そこそこ事象としては頻発していて、”あるある”と多数に共感されているということだと思うが、こんな事象が頻発していたら、文化資本である次世代の言語能力、ひいては課題解決能力の開発を妨げたりしていないか?ということである。

そして、文化資本の継承がうまくいった家庭と、そうでない家庭の次世代の格差が拡大の一途をたどっていないか、と危機意識を持っているのだ。

もちろん、人間は怒りを覚えると理性的ではなくなるし、論理破綻だって容易に行う生き物であるし、常日頃、論理的かつ冷静でいられる生き物ではないことも承知している。

しかし、SNS等で見受けられるヒス構文内容は、結構な論理飛躍をしているし、はっきりいって面倒くさい。こんなこと言ってくる人と何かを建設的に生み出せる気がしない。

一番のキーファクターは母親の社会進出ではないのか?

ここで、あえて禁じ手を使うと、筆者は文化資本の継承の成否には、母親がどれだけ現代社会と繋がりを持てているか、に依るのではないかと思っている。

子供が社会に馴染むためには、両親が社会の成り立ちやルールを家庭に輸入し、子供に日々わかりやすく噛み砕いて伝えていくのが望ましいだろうし、世代間の文化資本のアップデートは両親の経験値を織り交ぜることによって生じるのだろう。

今の日本の現代社会の大半は、特に資本家でもないサラリーマン家庭であり、核家族かつ共働き、あるいは母親がパートタイマー、専業主婦、という構成となっていることが想像できる。

そうなると、父親・母親がいかに資本を継承させるか、焦点になるが、物理的に子どもとの接点が多いのは、パートタイマー、あるいは専業主婦の母親、ということになる。つまり、依然として今の日本では、母親が子どものサバイバル能力を開発する役割を背負いやすい構図になっている。

しかし、パートタイマー、専業主婦の母親が持つ社会経験値は、子供を優先した結果、激変する社会的との接点が薄れ、子供が助言を必要とするタイミングでは、社会経験の鮮度が落ちており、時代にそぐわない状態になっているのではないか、と筆者は危惧している。

その一端が、幼稚で視野狭窄な、論理飛躍した”お母さんヒス構文”に現れているのではないかと考えているのである。
一社会人として、ヒス構文の会話のストロークは、かなり厳しいものがあると思うし、正直こういう母親が子どもが現代社会で直面した課題を建設的に解決し、子供の精神が自立するまで健全に導いている姿が全く想像できない。

旧来は、社会変化がまだ緩やかであったり、牧歌的な時代であったので、父親・母親の経験値と子どもが対峙する社会との間に多少の乖離はあっても、問題はなかったと思うが、現代は結構、この社会感覚の乖離は子供のサバイブ能力を開発するうえでは、なかなかハンデとなるのではないかと思っている。

だがしかし、こういう課題を母親ひとりのせいにしてしまうと、また、”全部お母さんが悪いっていうのね!”という金切り声が聞こえそうなので、筆者はさらに考えてみる。

後編へ続く。





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