見出し画像

両手でピアノを弾く幼稚園児だった甥っ子。

「ねーちゃん、それは違う。
 本人が切り開いていくものでしょ。
 勿体ないとみんなに言われても、
 本人次第でしょ。」

妹の教育方法だ。息子を思っての言葉だった。

誰もが「勿体ないよ」と言っていた。
妹の息子、私にとって甥っ子のことだ。

甥っ子がまだ小学校に上がらないうちだった。

「見て、愛読書。」

と言って実家に帰省した時に見せてくれたものは、
ボロボロになったバイエルだった。

「何度も目を通して、覚えちゃったみたい。」

と妹は普通に話していた。
実家にはピアノがあり(母の生業にて)、甥っ子は
ペロリとバイエルを弾いていた。それも両手で。

「え、すごいじゃん。どうして弾けるようになったの?」

「私が両手で弾ける曲を弾いたら、自分も弾けると思ったのかな。」

衝撃だった。
幼稚園児が両手でバイエルを弾いているのだ。

実家に帰省すると妹家族も帰省してくれた。
その中でも末っ子の甥っ子は、小さい頃から楽器に興味があった
私の夫も妹の夫も私の弟も、ギターを弾く。
夫がギターやウクレレを帰省時に持っていき、いつも弾いていた。
すると甥っ子はいつもギターを弾く夫にべったりだった。
夫はその頃から、

「あいつの音感は凄い。そして凄い勢いで吸収しようとしてる。」

と言っていた。

母もその才能には気づいていた。
なんせ母はピアノ講師だったから。

「早めにピアノを習わせるといいよ。」

と妹にアドバイスしていた。
妹も、本人が楽しそうにピアノを弾くので、
お姉ちゃんも習ってるし、同じ先生に教えてもらおうかな。と
言っていた。

甥っ子は天才肌だった。
あっという間にピアノは上達し、
レッスンを担当していた先生が、自分ではもう手に負えないと、
専門的な先生を紹介してくれたそうだ。
甥っ子は担当していた先生が若い綺麗な先生で、やめてしまうのが嫌だったようだが(笑)、渋々新しい先生に教えてもらうこととなった。

そこからも凄い上達ぶりだった。
あるコンクールの地方大会では常に入選していた。
母もコンクールをいつも楽しみにしていた。
教室主催の発表会もかかさず聴きに行っていた。

小学校高学年で、2年連続で、○○○音楽コンクールにて
県の代表に選ばれ、東北大会へと進んでしまったのだ。
東北大会でのコンクールの時には、私たちも応援に行った。
そこで初めて甥っ子のピアノを本格的に聴いた。

「これは普通じゃない。」

壇上で挨拶する甥っ子はベビーフェイスで、ヨタヨタしながら
ニコッと挨拶をするいつもの甥っ子だったが、
弾き始めたら人が変わったように

ピアニスト

になっていた。

甥っ子は音感だけでなく、リズム感も凄かった。
小学生の時、「太鼓の達人」というゲームをやっていたが、
最後までクリアしてしまって、驚いたと妹が話していた。
ゲームではなく、本物の太鼓を練習することも始めていた。

そんな甥っ子だったので、周りからの注目度は高く、
妹のママ友はみな、甥っ子の行く末を期待していた。
芸大に進むのか、
もっと有名な先生にレッスンを受けてコンクールに挑み続けるのか。
親戚一同でも甥っ子のこれからの道が気になっていた

妹にある日、中学生になる甥っ子はこれからどんな道に進むのか、
聞いてみた。
するとあっさり、

「本人がやりたいなら続ければいいし、本人次第だよ」

と言った。

「あの子の能力は人より出来るってことは分かってる。
 でも、あの子がどうしたいかでしょ
 もし、高みを望むというなら親として全力で応援する。
 けど、親から勿体ないから続けなさい、なんて
 言うのおかしいでしょ

 あの子の進みたい道を進めばいいんだから。」

その甥っ子は、今、大学生。
サークルでバンドを組み、楽しくやっている。
ドラム希望でバンドを結成しても、
キーボード担当になってしまったそうだ。
それも2組のバンドとも(笑)。
それでも楽しくやっているそうだ。

そして甥っ子がやりたい事は音楽を作る側らしく、
それも模索しながらの大学生活らしい。
甥っ子らしい
好きなことを自由に選んで楽しんでいる
小さい時からずっとそうだ。

そうさせているのは妹たち夫婦だ。
子供をがんじがらめにせず、好きなことをさせ、
それでも自由の中に責任感を持たせる教育方針は、
私は学ぶことばかりだ。

帰省時に甥っ子が実家でサラッと弾いた、

「ラジオ体操第一」

耳コピで弾けるんだから羨ましい限りだ。
そうやって甥っ子は周りのお友達も楽しませているんだろうな。

甥っ子のこれからの活躍が楽しみでならない。
そのまんま、自由でいてくれ。


最後までお読みいただきありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?