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遅延証明の彼女について。くだらない話だけど。

あの日も遅延証明を持ってきた。

彼女は週に半分は遅延証明を提出し、
「今日も電車が遅れて遅刻しました」
と、リーダーの私に朝の挨拶をしに来た。

当時26,7歳だった私は、契約社員として働いていたが、彼女のような派遣社員の取りまとめ役を任されていた。
私と年齢差なんてない派遣社員は約10人。
その中で、遅刻をしてくるのは彼女くらいしかいなかった。
遅れてくるのは5分の時もあれば、20分の時もあった。平均10分くらいといったところだった。
彼女が遠いところから出勤していることは知っていた。
田舎から出てきて一人暮らしをしている私とは対称的で、彼女は職場からだいぶ離れた実家から通勤しているようだった。

私は派遣社員の勤怠を本社に毎日報告をしなければならなかった。当時はメールでの報告などなく、毎日電話での連絡だった。

遅延証明の彼女は、遅刻する時の理由は必ず
「電車の遅延」
だったが、とうとう本社の勤怠担当から私あてに報告時とは別で連絡があった。

「彼女は遅刻が多くないですか?遅延証明を毎回提出していますが、指導はしていますか?」

との連絡だった。

彼女は色白で少し冷たい雰囲気のある小柄な女性だった。
いつも走って出勤していて、時間はギリギリ。
息を切らして席に座り、落ち着くまで水分を取ってから仕事に取り掛かるように見受けられた。
でも仕事は完璧。
ミスはほとんどなく、たまにミスを指摘しても(指摘する回数もほとんどなかったが)素直に自分を認めてきっちりやり直すタイプだった。
だが、繁忙期にみな残業を普通にこなしていたが、彼女は必ず定時に引き上げていた。
残業の強制はないし、派遣社員としての契約は契約書通り守ります、という感じが彼女の態度に現れていた。


私も彼女の遅刻の多さには少し引いていた。
遅延証明を束ごともらってきているのではないか、と彼女を疑ったこともあった。
でも毎回ちゃんと駅での当日の証明印が押してある遅延証明を私に持って来たから、何も言わずに受け取って遅刻を認めていた。

今回、本社から「指導」してくださいと指示があったため、あまり気乗りしなかったが、リーダーの役目を果たさねばならないため、彼女を別室に呼んだ。

本社から遅刻が多いと指摘されたことを彼女に告げた。もう少し早く出勤できないか、いつも少しだけの遅刻だからほんのちょっと頑張れないか、と私も気を遣って彼女に提案してみた。

それに対し彼女が放った言葉は、完全に怒りに満ちていた。
一気に彼女の言い分を告げてきた。

「うちは田舎にあるので、電車の本数は少ないし、一本早い電車に乗るとなると20分早く家を出なければならないんですよ。それにご存じだと思いますけど〇〇線は毎日のように遅れますよね。その電車に長い時間乗っていたら遅れる分数も増えますよね。だから面倒だけど遅延証明もらってきてるんですよ。遅刻したくてしているんじゃないんですけど。」

彼女にそう言われて、私は素直におっしゃるとおりです、と思った。
だが、本社から「指導してください」と言われている私は、

「そんなに大変な思いをして通勤しているなら、もっと自宅から近い職場に勤めればいいんじゃないの?」

と思わず発してしまった。
実際に私はなるべく通勤時間を短くしたいタイプだった。この職場を選んだ時も、一人暮らしをしているアパートから通勤が楽な場所だからという理由もあって決めていた。

その言葉に彼女は、

「仕事先を決めるのは自分ですし、そこまで言われるのはちょっと。」

と、不貞腐れた態度でそれ以上は言葉を発することをしなかった。

私もあまり気持ちの良いものではなかった。
彼女の遅刻の理由はよく分かったが、この状態で良いのだろうか、周りの他の派遣社員も彼女の遅刻には慣れっこだったしそれを認めている人もいれば私と同じ意見で引き気味の人もいた。

彼女とのやりとりを本社に報告したが、本社側ではあまりいい反応ではなかった。
でも私にはこれ以上、特にできることもなかった。

その日から彼女の私に対する態度は当たりが強くなっていった。
気が強い性格なのがよく分かった。
仕事上で私が発した言葉にぶつぶつ文句を言っているのがパソコン越しによく分かった。

その契約社員として勤めていた会社では、だんだん業務量が増え、私は終電まで残業をする日々が続いた。休日出勤も出勤できる人を募って一緒に働いた。
私はリーダーだから辞められないと気を張っていたが、限界が来ていた。
そして他の働き方を考えて退職することを決めた。

私が職場を去る日。
同じフロアでお世話になった方々から労いの言葉をかけられたり、思いがけない方からお礼だといわれて品物を渡されたりした。
私は自分の都合で退社するのに申し訳ない気持ちだったが、自分が頑張って来たことが報われたと感じた。

だが、遅延証明の彼女は私に向かって他の人にも聞こえるようなわざとらしい態度でこう発した。

「忙しいのを他人に放り投げて辞めていくんですね。私より通勤時間は短くて楽なはずなのに、自由でいいですね。」

耳を疑ったが、他の派遣社員は聞こえないふりをしているようだった。
私は忙しさで心も体も疲れ果てていたので、彼女の言葉を正面から受け取ることができず、正しく言うとその時はスルーしていた。


なぜか退職してから、私の中で彼女とのやり取りを思い出すことが多かった。
確かに遅延証明を毎回もらって来ていたのだから、彼女の言い分は間違っていなかった。。。
仕事もできたし私以外の他の人とのトラブルはなかったし。
彼女には自宅から遠い職場まで出勤する理由があったのか。
朝、実家でやらねばならないことがあって、出勤時間を早めることができなかったのかもしれない。
私の価値観だけで彼女を判断してしまったのか。
一人暮らしで自分の時間軸で働ける私を羨ましく思ったのか。
それにしても毎日のように数分の遅刻をどうにかできなかったのか。
私の伝え方が良くなかったのか。。。
私にばかり何故にあのような態度で接して来たのだろうか。。。

と、彼女の態度に煮え切らない自分がいた。


その後私は「派遣社員」として働き始めた。
一人暮らしだと生活があるからすぐに収入が欲しかったからだった。
派遣先の正社員で勤務している男性で、たまたま「遅延証明の彼女」と同じ方面から出勤してくる人がいるのを知った。
その男性とお話しする機会があったので、聞いてみた。

「〇〇線っていつも遅れるんですか?」
「よくご存じですね。そうなんですよ、だから結構早めに家を出るんです。特に台風の時は!」

「ここの会社は遅延証明は認められますか?」
「認められますよ。でもほとんどもらったことないですけど。それこそ台風の時くらいかなぁ。」

私は救われた。
きっと私もこの価値観だ。
そうだよね。
いくら遅れる路線でも、会社には遅刻しないよう早く家を出るよね。
自宅から遠い職場だと分かっているのだから。

私だって遅延証明をもらったことはある。
でもやっぱり相当な場合だけだ。
または遅れそうな時は、途中から会社に電話をして遅刻しそうだと伝えるだろう。
そう言えばあの彼女は、途中から電話連絡もなかった。。。


数年が経ち、私は結婚して子供から手が離れた頃に、フルタイムでまた派遣社員として働きはじめた。
その職場にも、2時間以上かけて通勤している人がいた。
仲間たちからは、
「地の果てからおはようございます。」
「だいぶ変わってる。私は遠すぎて無理。」
「冬は暗いうちから家を出るんだって。」
とさんざん言われていた。
同じ派遣社員の人だったが、独身男性で、通勤時間が楽しいのかもなぁと思ったりした。

私がその職場で働き始めてまもない、ある天候が荒れた日。
その男性が利用している路線が全線見合わせになりストップしているという情報が入った。
確かにその路線は、強風でも大雨でもすぐに止まってしまう線だった。
本数も乗り継ぎも限られていて、1本のがしたら後がないようなところから彼は出勤していた。
その彼から、電車が動くまでまだかかりそうなので遅刻しますと電話があったようだった。
私の隣の席の人が電話に出たのだが、

「とりあえず遅延証明を提出してね。」

と言ったのを聞いて、私は「遅延証明の彼女」を思い出した。

隣の席の女性は電話を切った後、
「この人さぁ、あんなに遠くから毎日来てるのに、あんまり遅れたことがなくて不思議なんだよね。実は近くに住んでるんじゃないの?って聞いたことがあるくらい。すごくない?」
と私に話しかけてきた。
「でもほんとに通ってるみたいなんだよねー。」
と。
私は、凄いですね、私はなるべく近い職場がありがたいです、と答えた。

私はいつまでも遅延証明の彼女のことを忘れられずにいた。
あれだけ言い切った彼女の言葉と態度が腑に落ちていなかった。
でも、今の私は昔の私に伝えられる。

彼女は、「そういう人」だったんだよ、と。

そういう人。
ただ、それだけ。

自分が彼女に失礼なことをしたわけじゃないんだよ。
彼女は彼女。
彼女はその価値観で、生きている。
ただそれだけなんだよ。
だから、自分を責めることはないんだよ。
そういう人もいるんだよ。

同じように自分と同じような考えの人がいるんだ。
彼女にも同じ感覚の人がいるんだよ。
だから、彼女の不貞腐れた態度は彼女のものであって、私のものではないんだから、
もう、手放していいんじゃない?


なんのご縁なのか、今、私が住んでいる場所は「遅延証明の彼女」が通勤で使っていた路線に最寄駅がある。
大学生の娘はいつも予定時刻より数本早い電車に乗って通学している。

「〇〇線ってほんとにいつも遅れるんだよね。」

と言いながら。
授業に間に合わなかったとか、遅刻したんだとは、聞いたことがない。



どうでもいいお話に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
























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