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【読書】「寒山拾得」芥川龍之介 〜飯田橋で寒山拾得に遇った話〜

体調があんまり回復しません。
noteもなかなか書く気力が起きなくて…悲しいです。

そんななかではありますが、本は変わらずに読んでいます。
最近は、芥川龍之介の『杜子春』(角川文庫)を持ち歩いて、通勤時間に読んでいます。

そのなかに、私の好きな話が載っていました。


寒山拾得(かんざんじつとく)

なぜ好きかと言うと、言語化するのが難しいけれど、やはり芥川の人となりを感じられるからだと思う。
あと、「飯田橋」とか実際の地名が出てきて、芥川も電車に乗ってたんだなぁとか想像するのが楽しい。

話としては、漱石先生に会いに行った後、帰りの電車から外を眺めたら、いるはずのない「寒山拾得」がいた、という話。
※寒山拾得 共に中国唐代の僧。文殊・普賢の化身と称される。禅画の好題材で、寒山は経巻をひらき、拾得は箒を持っている図が多い。(巻末の注釈より)


それだけの話だけど、芥川っていいよなポイント(個人的)にあふれている。

  • 漱石先生と話す場面で、先生が話した運慶のことに「どうでも好いと思った」から、「浮かない先生をつかまえて」むずかしい議論をふっかけた。

  • 帰りの電車で隣の人が「寒山拾得が歩いているな」と言い、それに対して、その人の袖を引っ張り「ありゃ本当に昔の寒山拾得ですか」と尋ねた。

  • 家に帰ったら漱石先生に「今日飯田橋で寒山拾得に遇った」という手紙を書こうとしている。


漱石先生に手紙を書こうとしているところは、今だったら「LINEした」とかになるんだろうか。


何か心に感じたことがあったとき、誰かに共有したくなるのは、いつの時代も同じなのかもと思ったら、とても身近に感じられた。
(芥川から漱石先生へのお手紙だから、そんなレベルじゃなくてもっと知的な内容だったのかもしれない。わからない。)


とにかく私はなぜかこの話が好きで、何回も読み直してしまう。
今日なんか、3ページしかないこの話を、電車の中で何回も読みながら、マスクの下でニヤニヤしてしまった。(変な人でごめんなさい)


寒山拾得、終わり方もなんだか良い。

自分はつりかわにつかまったまま、元の通り書物を懐に入れて、家へ帰ったらさっそく、漱石先生へ、今日飯田橋で寒山拾得に遇ったという手紙を書こうと思った。そう思ったら、彼らが現代の東京を歩いているのも、ほぼ無理がないような心もちがした。

「寒山拾得」-芥川龍之介


え!無理がないように感じられたの?!
そうなんだ…


こういう随筆っぽい話ばかり読んでいたら、芥川に怒られそう。
最近は、小説も頑張って読んでおります。
(素戔嗚尊、杜子春、南京の基督などなど…)
小説の良さももっと感じられるようになったらよいのだけれど…精進します。

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