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人類学的なデザイン

Spectrum Tokyo Fest 2023にて、「人類学的なデザイン」というタイトルで登壇させていただきました。

近年、人類学とデザインの領域がより近接しています。他者を知ることを通して、翻って自分を深く知る。そのような人類学的な態度を組織にデザインする実践について、提供開始から1年弱で発行枚数200万枚を突破し、グッドデザイン賞も受賞した「メルカード」のデザインプロセスと、お客さまを知るために毎週実施している「Research Hour」の取り組みを事例に紹介しました。今まさに取り組んでいる最中で、まだ生煮えの状態ではありますが、色々な方と対話するきっかけとなったらと思っており。この記事では、登壇内容を抜粋して紹介します。

「人類学」とは?

いきなり「人類学的なデザイン」に入る前に、まずはそれぞれのキーワードについて説明していきます。人類学とは、「人間とは何か?」を問う学問です。といっても、すごく広いですよね。

特徴としては、長期のフィールドワークを通して人々を調査・研究し、エスノグラフィを記述することが挙げられます。たとえば数年間現地に暮らしながら、調査対象とともに暮らし、彼らについて研究した結果をエスノグラフィという厚い記述にまとめます。このような人類学のスタイルを切り開いたのは、人類学者のマリノフスキが有名です。マリノフスキについては昨年のアドベントカレンダーでも書きました。よかったらこちらも併せて御覧ください。

また、人類学者のティム・インゴルドはこのように言っています。

「私たちは人々についての研究を生みだすというよりも、むしろ人々とともに研究する。このやり方を「参与観察」と呼ぶ。それがこの学の礎なのである」(ティム・インゴルド)

このように、長期のフィールドワークを通じて、人々とともに研究をする参与観察を通じて、彼らの目から見た世界を深くわかろうとする。そういった研究であり、実践であるのが人類学です。

「人類学的」とは?

では、私がここで言いたい「人類学的」とは何なのか。本来、人類学のフィールドワークは2-3年など長期に渡ることが多いわけです。そうした長期のフィールドワークを通して、対象についてよくわかった上でデザインができればいいですが、特にビジネスにおいてはそうもいかないのが現実です。でも私は、長期のフィールドワーク以外にも「人類学的」な経験というのは日常にもあって、それをデザインの現場においても小さく再現することはできるのではないかと思っています。

私の「人類学的」な経験

私は学部時代に多国籍寮で4年間暮らしていて、アメリカ、フランス、ドイツ、オーストラリア、中国などいろんな国からきた留学生とルームシェアをしていました。この寮はいわゆる自治寮といわれるもので、大学は運営に関与せず、寮生たちで管理・運営をしていました。寮長を決めて、委員会を組成して、みんなから寮費を集めて、毎月の寮会で自分たちでお金の使い方を決めます。その中で、寮費を新聞で購入していて、みなが過ごすリビングに置いてありました。これはいつからかわからないのですが、私が寮に入ったときにはすでにある当たり前の慣習でした。

ある時の寮会にて、とある留学生が「寮費で新聞を購入するのをやめて、少年ジャンプを購入すべきだ!」と主張したんですね。これを新聞ジャンプ論争とでもいいましょう。この主張、みなさんどう思いますか?

私は「寮費で買うのにふさわしいのは絶対新聞でしょ!」と思っていました。というか正直、彼の主張は冗談だと思ったのです。しかし、彼は本気で、なぜジャンプを買うべきなのかをひたすら主張します。そうして寮全体を巻き込みながら議論が続き、その過程で私自身も「あれ、なぜ新聞の方がふさわしいんだろう?」とふと思うようになったんですね。

私からその留学生をわかろうとしてみると。彼はアメリカからの留学生で、日本語を勉強しにきているわけです。といっても漢字はまだあまり得意ではなかったし、何より日本のアニメや漫画が大好き。それが彼にとって、日本に来るモチベーションにもなっていたわけです。だから彼の立場で考えると、漢字ばっかりで読むハードルが高い新聞にお金を使うぐらいならば、ジャンプ読みたいよ!っていう主張だったわけです。漫画をきっかけに、漢字の勉強も進むかもしれませんよね。

一方、彼から私を見つめ直してみるとどうでしょうか。私は日本語が第一言語ですし、当時アニメ漫画ってほどんど見ていなかったんですね。本を読む方が好きで、活字を読むのに苦労しません。そうした自分だからこそ、「新聞がふさわしい」というのは完全に自分基準であって、思い込みだったなと気付かされたんです。結局このジャンプ論争は見送られたわけなんですけど、私にとって今でも忘れられない出来事です。

人類学のモットーとして、”Making the strange familiar and the familiar strange”というのがあります。これは一見すると不可解な他者のロジックを私たちにとって理解可能な形に翻訳する「異質馴化」(making the strange familiar)と、異文化の視点から私たちの当たり前をフレッシュな目で見直す「馴質異化」(making the familiar strange)の2つの視点が挙げられます。

そしてこの新聞ジャンプ論争を振り返ると、異質な他者をわかろうとする「異質馴化」と、他者の視点から自分を見つめ直す「馴質異化」が起こっていたのだと思います。「異質馴化」は漢字の通り、異質なものを自分にとってなじむ形に翻訳し、理解しようとすることです。逆に「馴質異化」は自分にとってなじみあるものを異化する、つまり自分の当たり前だと思っていたことを、見方を変えて、新たに見つめ直し、出会い直すようなことです。

人類学というとどうしても異質なものをわかろうとする「異質馴化」のほうがイメージしやすいと思うのですが、私はこの「順質異化」で自分の当たり前が壊されて、自分が変わっていくことのほうがデザインにおいては大事なのではないかと思っています。つまり、私がここで考えてみたい「人類学的」というコンセプトは、他者の視点から自分を見つめ直す「馴質異化」で自分の思い込みに気づき「自己変容」していくことなのです。私が新聞ジャンプ論争で自分の思い込みに気づいて、考えを改めたように。

まとめると、「人類学的なデザイン」とは、人類学のフィールドで起こるような他者の視点から自分を見つめ直す「馴質異化」とその結果としての「自己変容」をデザインしていくこと。これを長期のフィールドワークに出かけることは難しくても、日々のデザインの実践に埋め込むことは出来ないだろうか?というチャレンジなのです。これはつまり、ものづくりへの態度をデザインすることだと思っています。デザインに関わる人々がいろんな視点を学び、そして自ら変わり続けることは、多様な方々へのInclusiveなデザインにとっても大事なことなんじゃないかなと思っています。

自己変容をいかにデザインするか?

では、自己変容はどのようにデザインできるのでしょうか。人類学者の方々がフィールドワークでの自己変容の経験を教育現場に応用していて、「人類学者たちのフィールド教育 自己変容に向けた学びのデザイン」という本を書かれています。そこではこのように定義をされています。

文脈に埋め込む → 偶発性に身を委ねる → 自己を省察する→…以下ループ。つまり、まずはフィールドに飛び込んで、相手の生活や文化といった文脈に自分を埋め込む。そしてそのフィールドで起こる偶発性に身を委ねる。そして起こったことに対して、自己を省察する。つまりリフレクション。で、これをぐるぐる繰り返す中で自己変容が起こるわけです。

ではこのプロセスをデザインの実践にも取り入れることで、自己変容を促すことが出来ないか。そうして私が取り組んでいる事例をSpectrum Tokyo Festでは2つお話したのですが、ここでは1つだけ紹介します。

リサーチをひらく・Research Hour

リサーチをリサーチャーが行うだけではなく、皆にひらかれたものとすることで、この自己変容の3つのプロセスに皆さん自身にチャレンジしてもらったResearch Hourの事例です。

毎週1時間、お客さまを知るResearch Hourと決めて、プロダクトマネージャー、マーケター、カスタマーサポートなど多職種のみなさんに自分自身でインタビューや記録として同席してもらっています。このResearch Hourを続ける中で「1時間で得られる経験値としてはタイパ最高の施策」といった感想をもらったりしており、まだ実践途中の取り組みではあるのですが、どんな工夫をしているのか紹介します。

「文脈」に埋め込む工夫

まずはお客さまの「文脈」に自分を埋め込むきっかけを作るために、とにかく参加のハードルを下げるようにしています。参加者は事前準備不要で、当日時間になったら普通にMTGを始める感覚で、Google MeetのURLを開くだけ。予め不安な人にはインタビュー講座を実施したり、トークスクリプトをは用意したり、リクルーティングはUXリサーチチームが全て担うことでまずは気軽に参加してもらえる環境を作っています。

偶発性に身を委ねる工夫

次に偶発性。これはビジネス現場でのたった1時間のインタビューだと、なかなか難しいと正直思っています。偶発性に身を委ねるといっても、完全にフリースタイルでインタビューに投げ込まれると「何を聞いたらいいんだろう…?」と初心者ほど緊張してしまいます。そのため上述した通りトークスクリプトはある程度用意しています。代わりに、事前に対象者を選ぶ際に、なるべく「お?」と思った方を呼ぶようにしています。たとえば自由回答にサービスへの熱い想いや面白いユースケースを書いてくださっていたり、利用ログ上で特徴的な利用実績がある方などです。これによってエクストリームなお客さまが参加してくださることが多く、色々と脱線しながらも盛り上がる展開になることが度々ありました。

自己を省察するための工夫

最後に省察を促すために、Research Hourは1時間のうち45分をインタビュー、残り15分を振り返りの時間として設計しています。振り返りではサマリーとファインディグスを3行程度でまとめてもらっており、お客さまへの理解・学ぶを深めることを重視しています。

参加者の声

Research Hourを続ける中で、このような感想が寄せられました。

その中でひとりのプロダクトマネージャーが書いてくれていた「自分の考え方の歪みを矯正できる」というのが、これって他者から自分を見つめ直す馴質異化だし、自己変容なんじゃないかな?と思ったんですね。まだまだ実践途中の取り組みではありますが、たった1時間のリサーチでも頻度や回数を重ねることで人類学のフィールドを小さく再現できるかもしれないと希望を持っています。

まとめ

  • 「人類学的」とは他者の視点から自分を見つめ直すことで自分の思い込みに気づき変わっていくことであり、「人類学的なデザイン」とは人類学のフィールドで起こるような「馴質異化」とその結果として起こる「自己変容」を仕掛け、ものづくりの態度をデザインしていくことである

  • お客さまとの出会いを通して私たち自身のことを見つめ直す馴質異化を仕掛けたり、リサーチを通して人類学のフィールドを小さく再現し、地道に自己変容の種を撒き続けることが人類学的なデザイナーの役割なのではないか

ということで、「人類学的なデザイン」について、現時点での考えと実践事例の共有でした。今回割愛したメルカードの事例は、現在執筆中の修士論文でまとめる予定です。また、この「人類学的なデザイン」というコンセプトは今後私の研究テーマになる予定なので、いろんな方と対話しながら考えを広げたり、深めたりできたら嬉しいです。

この記事はResearch Advent Calendar 2023に参加しています。他の方々のリサーチの記事もぜひ御覧くださいね。


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