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「金の卵」を産まなくたって私は私を推していい

3日前に見かけたときは「高っ!」と思い、
金額を目にした瞬間「ないわ~」と
何の疑問も抱かず
秒で案内画面を閉じた某講座。

その翌々日だっただろうか。
再び目にしたときには
「え、ちょっと気になる、どうしたらできるかな」
に変化した。

たった2日間の間に、
劇的な何かがあったわけではない。
最初はきっと無意識に
「私はこの金額を払うのに値しない人間だ」
「自腹で負担するにしても、夫がどう思うか」
「元を取れる保証がない」
という決めつけがあって
その思いが心のシャッターを
ガラガラと下ろしたのだろう。

けれど、一度目にした情報に、きっと免疫がついた。
そしてなにより、根っこに「やってみたい」があった。

再び案内を目にしたときに現れたのは
「そもそも元を取るって何?私が戻めているのは何?」
「元を取れないかもしれないけれど、
 むしろお値段以上の収穫がある、
 という可能性もあるよね」
と、固定概念を疑い始める自分。


話は変わるが、
私は成績優秀な類だった。
勉強は好きだったし、
親にプレッシャーをかけられたことはない。
放っておいてもやる子だった。

そのまま高校生になって、
親には「もったいないから医者を目指したら」
と言われた。
実際に医学部も受験した。

「そうする」と決めたのはもちろん私だったけど、
「そうしたい」が根っこにないこともわかっていたから、
「浪人はしない」とも決めていた。
結局、医学部は不合格で、
現役の年に私立大の理系学部に進学した。

相変わらずこれといってやりたいことはなかったけれど、
これまた大学でも、終わってみれば成績優秀だった。
研究室の先生からは、大学院進学を勧められたけれど、
専門分野を極めたいわけではなかった私は
「この分野を仕事にするつもりはないので、
 お金を払って院で勉強を続けるより、
 お金をもらいながら社会勉強します」
と迷わず断った。
先生に「もったいない」と言われた。

そして卒業した私は、いわゆる「文系就職」をした。
ここでもこれといって強い信念もなかった私は
当時の習い事を仕事にしたいと考え始め、
プロ養成スクールに通ったりした。
そこにいるのは年上のお姉さま方ばかりだったが
みんな仲は良くて、とても楽しかった。
その習い事の経験が長かった私は、
スクールでも優等生で、
そこそこ目立つ立ち位置だった。
その目立ち方のせいか、
あるいは収入的にはメリットがないからか、
終了後の打ち上げでお姉さま方に
「この業界に進むなんてもったいない」と言われた。

それでも新たな道を考えている、
と母に打ち明けたら、
苦い顔をしながら
「一生懸命働いて学費を稼いでくれたおじいちゃんに
 ちゃんと説明しなさい」と言われた。
説明するならそっちに進んでいいんじゃないの、
という意味合いではなく、
「お金を無駄にするんだね」と言われていると解釈した。
結局、その道に進むことはなかった。

どの進路を選んだのも、選ばなかったのも私だし、
貫き通す強い信念がなかったのも私。
母はいわゆる「毒親」の部類では全くなく、
むしろ愛情深く常識的で、しっかりした人だ。
だから、責任は私にある。

ただ、私はいつもあらゆる方面から
「もったいない」の呪いをかけられてきた、
とは思う。

私が「どうしたいか」「何がうれしいか」よりも
偏差値的な私の能力を生かせるかどうか、
そういう道を選んでいるかどうか。
「やりたい」より
「みんなのため」「誰から見ても妥当な道」を選ぶのが
私にとっての正解で、
周囲の喜び。

そっちにいかないといつも
「もったいない=最善ではない」
と言われている気分だった。
(その時は気づいていなかったけれど、
 呪いを実感した今、
 そう感じ取っていたんだ、と理解した)

そして
「お金は投資であり、見合うだけの価値を回収すべきもの」
という価値観もまた、ある種の呪いになったと思う。

応援ではなく、投資。
この子なら金の卵を産んでくれるから。
私はそれに見合う成果を上げなくてはいけない。

――もしかしたら無償の愛だったのかもしれない。
けれど、「金の卵を産まない私は裏切り者」と、
私自身が捉えざるを得ない人生を
送ってきたとも思う。


長くなったが、
例の講座を目にしたときの私に
話を戻そう。

講座案内の画面を閉じたあの瞬間、
私はまさに
「もったいない選択をしていないか?」
「金の卵を産めるか?」
を自分に問うていた。

私の収入を私に投下するとき、
その分を絶対に回収しなくてはいけないの?
自分の最大の味方であっていいはずの自分が、
見返りを求めず、
自らを推し活したっていいんじゃないの?

数十万円かかる旅行は
比較的軽やかにプランするのに、
学びに割くお金はケチるって何?

っていうか、
自分の「やりたい」に
もったいなさを感じるんだとしたら、
何のために働いて、
何のために生きてるの?


この呪いから一歩外に出るまでに、
40年以上の月日がかかってしまったけれど。
むしろ50年かからなくてよかった、と思いたい。

残りの人生は、今日から始まる。


▼そして、こちらはその後の話。

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