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自分の人生を生き直せるようになったきっかけは、たった7文字の言葉だった

あぁ、また朝がやってきてしまった。

そう思うようになったのは、いつからだろう。
少なくともここ2年は、そんな気持ちを抱くことが多かった。

理由は、すんなり学校にいかない子どもたち。

我が家には、2年以上、来る日も来る日も手をつないで毎朝同伴登校する娘や、登校にとてもパワーがかかる状況の娘がいる。彼女らのプライバシーにかかわることなので、ここで多くは語らない。けれど、そんな子どもを育てる母親が、私だ。

時として深く悩むたびに、元気で、生きてくれていること。それだけで幸せだと思い直す。けれど、四六時中その気持ちに浸れるほど、私は崇高な人間ではない。

朝は鬼門だ。

果たして今日は無事1日学校で過ごせるのか?
そもそも学校に行くのか?
早退の電話がかかってくるかもしれない。
私は思い描いた予定をこなせるのか?

――そんな思いを胸に抱きながら、なるべく穏便に、娘たちの不安を煽ることをしないように、私の不安をにじませないように。言葉のひとことに、振舞いに、気を遣いながら、出発の時を待つ。

もちろん、私と娘たちは別の人間。願いが届かないことは多くて、思い通りにいかないのが日常だ。

何度もいかり、涙を流し、語り合い、説得し、謝りながら過ごしてきた。そしていつしか、心の片隅にひとかけらのあきらめを携えるのが処世術となった。親として寄り添い、いい未来に向かって努力は続けるけれど、期待はし過ぎないように。自分に何度も言い聞かせた。

そうして、いつの間にか、私は朝に希望を抱かなくなっていたようだ。全然気づいていなかったけれど。

事実、娘からの言葉も胸に刺さっていたのだと思う。
「あぁ、寝たら朝がきちゃうのか」
「朝がいちばん、きらい」

夜明けのあとにやってくる朝は、明るさを携えたものではなく、新たな戦い。期待しないこと。――なるべく穏やかに生きるための手段だった。仕方がなかった。

5月の半ばを過ぎたある時期、あらゆることが重なった。子どもにまつわるいろんな要望が、あちらこちらから舞い込んできた。調整し、対応し、時にお詫びの言葉ばかりいう日々もあった。相手にそんな意図がないのは頭では理解している。それでも、自分の人格や育児に失格の烙印を押されたようで、日に日に追い詰められた気分になった。気が緩むと、涙が出てきてしまうような日々だった。

子どもが家で笑っていれば、「ああ、せめて我が家が安心できる場所でよかった」と思える私だったはずなのに、あの頃は「朝も昼も元気ないくせに、夜になったら何で笑ってるの?こっちも気も知らないで」とイライラばかりが募った。娘の笑顔も許せなかったけれど、それ以上にそんな自分が嫌でたまらなかった。もう限界だった。

夫に状況を報告しようとしようにも、おもむろに泣き出す私。そんな様子を見かねて、夫が提案してくれたのは、突然の一人旅。その場で宿を手配して数時間後に旅立った。

行き先は箱根。ホテル丸ごとが本棚のような、「箱根本箱」。そこでふと手に取ったうちの一冊が、「あさ」だった。

世界が目覚める瞬間のまっさらな空気を閉じ込めた写真に、谷川さんの文章が添えられた絵本。その言葉の一つ一つは、ひたすらにまっすぐ、何も疑うことなく新たに始まる朝を祝福する。

「いやいや、でもね、朝がこないでほしい、って思う娘がいるのよ」と、半分ひねくれた気持ちでページを繰っていたのだ、ほんとうは。

ところが、少しずつ少しずつ、心が凪いでいくことも、残り半分の心で感じていた。

そうだった、きょうはいつも「はじめて」だ。
憂いも、ささくれも、すべてはきのうのできごと。

「おはようきょう」。


このたった7文字を目にしたとき、まるで心の底がパッと抜けて、重~く積みあがっていた荷物がストン!と地球の裏側に落ちていったようだった。

たとえ誰かが悲しんでいても、たとえ誰かが望んでいなくても。
私は朝を喜んでいい。
希望に満ちた新しい一日を始めていい。

あれから2週間。

「ママ、最近怒らないね」
「うん、私も思ってた」
と娘二人が会話する。

憂鬱な娘の表情の向こうに、いつも空は広がる。
空を見上げて、「おはようきょう」と毎日つぶやく。
私のきょうを始めることを、決意し直す。
私の人生を生き直す、その始まりは、たった7文字の言葉で十分だった。

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