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怖がりだから、動く。「知らない」の面積を減らすために、動く。

「美穂は、石橋を叩いて叩いて叩き割る子だよね」
幼い頃、母にそう言われた。

これはまさにその通りで、
「挑戦」を前にすると、
1%の期待の隣に、
「失敗したらどうしよう」
「傷ついたらどうしよう」
「つまらなかったらどうしよう」
「わからなかったらどうしよう」
「やっぱりやめたくなったらどうしよう」
「もっとやりたいことが現れちゃったらどうしよう」
という99%の不安があるような子どもだった。

では
叩き割った橋を前にして引き返すことばかりかと言えば
そうでもなくて、
「すみませ~ん、やっぱり行ってみます……」と
丸太を向こう岸に渡してそろそろと結局は渡ってみる。
だったら最初からエイッ!と
石橋に足を踏み出してしまえばいいのだけれど、
私にとって叩いて叩いて叩き割るのは儀式の一つだった。

丸太をそろそろと渡るものだから、
そこにはいつ落ちても大丈夫なように準備を整えるのも、
また私にとっての儀式だった。
「いざとなったら辞めてもいいよ、ってお母さん言ってたし」
「私の目的は○○なんだから、もし友達出来なくても大丈夫」
「失敗したって死ぬわけじゃないし」
落ちても大丈夫なように、
そこにはいつも逃げ場を用意する。

「絶対これをやり遂げる!」
「成功するまで田舎には帰らない!!!」
といった決意を胸に夢を実現しに行く人は、
私の対極にある存在で、
憧れと尊敬を抱きつつも、
メンタル構造は果たしてどうなっているのか?と
全く持って理解不能でもあった。

ところが、
「実は私という人間はこんな感じでして……」と
周りの人に話してみると
「えっ、見えない」
「だっていつも動いているじゃない!」
「はじめましての人にだって会いに行ってるし!!」
「ガンガン突き進んでいるバイタリティの塊かと!!!」
――と言われる。
100%言われる。

そう、私は動いている。
私は確かに、
昔よりは「挑んでみる」ことに対して
ハードルが下がっているのも事実。
でも石橋を叩かないかと言われたらそういうわけでもない。

年を重ねて、
人の目が以前よりは(私比)気にならなくなった
――図々しくなったというのは間違いない。

でも、それよりもっと本質的で確実なこと。
私がなぜ、動き続けるのか?

それはきっと、
「もうこれ以上怖がりたくないから」なのだ。

――――――

新卒で就職したのは、
「で、お前はどうしたいの?」の合言葉(?)で有名な
某企業のグループで、広告を制作する会社だった。

やりたいことがあったわけではなく、
「緩い流れから激流に合流するのは難しいだろうけど、
 激流でもまれれば緩い流れにいつでも乗り移れるから」と、
これもまた「逃げ場」を見据えての就職だった。

そんな状態だから、
「お前はどうしたいの?」も何も、あったものではない。

1年目の営業研修では、提案や戦略を考えるわけでもなく、
値下げ交渉を上司に持ち掛ける私に
「…お前なぁ、安くすりゃ誰だって売れんだよ」
と言い放たれた(そりゃそうだ)。

ようやく大き目の受注をあげても、
制作現場の先輩と打ち合わせで右往左往し
「やじは一体なにがしたいの?
 意思が何も見えなくて、やりにくくて仕方ない」
と言い放たれた(そりゃそうだ)。

そんな状態のまま、
2年目の本配属では制作ディレクターになったものだから、
「大きな仕事したくないなぁ……」
「ちゃちゃっと自分だけで完結させたいなぁ……」
と願い続けていた。

が、もちろんそうは問屋が卸さない。
当時は就職氷河期で、
10名足らずの新人は
「経営幹部候補」的な未来を見据えて
内定をもらったわけで。
先輩たちにはとてもかわいがって
ある意味無邪気に伸び伸び振る舞いつつも、
「やばいよねぇ、このままなんて、無理だよねぇ……」と
キャリアの行く末に関しては
本当に戦々恐々と過ごしていたと思う。

そして迎えた3年目。
相変わらずビクビクし続けていた私だが
「こうやってずーっと身をひそめながら
 ビクビク生きていくのかな?」
と、いよいよ考え始めた。
「隠れる・避ける以外の方法って、何がある?」
と考え始めた。
相変わらずやりたいことは胸を張って語れなかったが、
「やりたいことがなくても、
 怖がらないようにはなれるんじゃない?」
と考え始めた。

そして辿り着いたのが、これ。

いつくるか分からないから、
知らない世界が見えないから、
怖いんだ。
できないのに、
「この人できるよね」って前提で
任されるのが怖いんだ。

「わからないので教えてください」
「あっちの世界を覗かせてください」
って
自分から飛び込んでいけばいいんだ!

――やられる前に、やる。
――攻撃は最大の防御。
今考えるとそんな発想だけれど。(笑)

不意打ちされるのではなく、
追われるのでもなく、
自ら舵を握って知らない世界を覗くことが
恐怖を払拭する方法だって気づいた瞬間。

早速、当時のリーダーに、
「これから取り掛かる大き目の案件がどう進むのか
 誰がどうかかわるのか、
 そばで見せてもらっていいですか?」
と直談判した。
信頼できる存在で、
彼自身が育成に熱心なのもありがたいことだった。

彼は、1Pの雑誌広告を制作するチームに
私を迎え入れてくれた。
企画のブレストやデザイナーさんとの打ち合わせにも
同席させてくれて、
私の「知らない世界」の面積を一つずつ減らしてくれた。

コピーも一緒に考えて、
最終案にも生かしてくれた。
(「GOOD BYE」の解釈をあんなに考えることは
後にも先にもないと思う)

そうして出来上がった広告は
広告専門の雑誌に作品として掲載されたのだが、
プランナーの一員として
私の名前をクレジットしてくれたことも
またとてもうれしかった。

その頃、ベテランの営業さんがこう言ってくれた。
「最近お前、変わったな!」
――一緒に仕事をしたことはなかったけれど、
何も知らない人に
あり方の変化を認められたあの瞬間がまた
印象的だった。

実はこの直後に、私は人事に異動した。
大きなページの広告制作に関わることは、結局なかった。

けれど、25歳の私が逡巡し、行動したあの数か月が
パラダイムシフトの時だったのだと思う。

――――――

あれから18年(!)。
今も相変わらず怖いけれど、
怖がりは怖がりのまま、
小さく挑戦し続ける。

石橋を叩かなくなったわけではない。
いまや「爆速」と呼ばれる私なので、
動き出す直前のその一瞬で、
多分みんなの目にもとまらぬ超速で
石橋を叩きまくってるのだと思う。

それでも丸太を渡して
渡ることを選ぶのは、
もうこれ以上怖がりたくないから。

大海原のごとく広がる「未知」が「知」にひっくり返れば
自分の恐怖がちょっと減るのではないか。
そうやって、ちょっとでも安心したいから。
次の一歩を、ちょっとでも軽やかにしたいから。
私はきっと、自ら動くのです。





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