Day 314 あなたは悪くない
『知るべき知識の全てⅠ』を読み終わった。
これまで人生の目的や本当の自分を知るため、そして人生の苦しみから解放されるための知恵を探し続け学び続け、聖書を始めさまざまなスピリチュアル、宗教、自己啓発、心理学の本を読んできて、その旅はこの本に出合って終わった。
タイトルのとおり、知るべき知識はこの本にすべて書いてある。
ただし、読んだからといって人生の目的や本当の自分や、苦しみや幸せについて、理解できたわけでもないし、悟れたわけでも覚醒できたわけでもない。
ただ、知識をこれ以上探す必要はなくなった。私から隠されている秘密はなくなった。
あとは、その知恵そのものを生きるだけ。自他の分離なく気づきそのものとして在るだけなのだが、たぶんそれができたらそのまま現世での生は終わるかもしれない。
この本には、人生の仕組み、つまり法は書いてある。けれどなぜそういう仕組みになっていて誰がそれを作ったのかは書かれていない。
そういう本ではない。物理の本のようなものだ。
重力がどういうものか、どういう風に地球上のものに影響するのか、それが物理だ。けれど、その物理法則を誰が地球上に生み出したのか、なぜそれが存在するのか、は物理の域外だ。それと同じ。
ただ、そのなぜをスピや宗教が解決するかというと、そうことではないことも、この本を読むとわかる。
天使も守護霊も引き寄せも天国も地獄も、自分ではない対象としてとらえる限りそれは幻想だ。またそれらを体験したとか、見たとか聞いたと発信している人は、真にそれらを理解していない。自分の幻想について話しているだけだ。対象でないことを理解しつつ、あえて対象として発信しているのであれば、またそこにはなにか意図があるのだろう。
この幻想を生きる仕組みの大元にあるのは自分は罪びとであるという罪悪感。罰せられるという恐怖と不安。罰せられないために、自分は悪くないと自分は正しいと証明したいという欲だ。
正しいと証明するために、問題が必要になる。問題が起こるたびに何か対象のせいにする。他人や事象や自分自身のせいにする。自分のせいにする人は自分の中に捨てるべき自分を作り、そのダメな自分のせいにする。
そして、私は悪くない、と思いたいのだ。
しかし、ほんとうはだれも罰していないのだ。罪はないのだ。
だから、正しさを証明する必要はないのだ。自分を守る必要もない。
「私は悪くない」という言葉は、では誰が悪いのだ、という犯人捜しにつながる。だから私は「あなたは悪くない」ということを発し続けることが、わたしにとっての真我を生きる道の始まりである気がしている。
あなた、と言っている時点で、自分ではない対象を作ってしまっているのだけれど。この3次元の現実という世界で自我である私が愛を生きるというのは、ここから始まる気がする。
あなたは悪くない。罪はない。なにも証明する必要も逃げる必要もない。誰もあなたを傷つけることはできない。あなたは守られている。あなたは私である。私はあなたである。
この言葉を反芻している私は依然として悟っていない思考・自我でしかない。人として生きているかぎり自我は消えることはないし、否定すべきものでもない。あなたは悪くない。そこから出ることなく自我の私がすることになっていることをしていくことになる。
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