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「分かってもらえない」は自分を好きになるステップのはじまり

今日の話は、気持ちをわかってもらえない、共感してほしいのに助言されてしまう、そういう苦しさを抱えている人には、少し厳しく感じるかもしれません。

分かってくれないというのは相手を責めていることで、これは依存です。自分は傷ついている、悩んでいる、ただその荷物をいったん置いてほっとしたいだけなのに。助言されると休んでいないで早く歩け、と言われているような気がしてしまう。苦しさの原因も、それを解消する手立てもすべてが相手次第です。

依存が悪いと言っているわけではありません。でも分かってもらえない苦しさが人間関係の問題を生み出しているのなら、自立の力を取り戻した方が楽になります。

どうして依存なのかを説明しますね。

分かってもらうための行動をしなければ、人はエスパーではないので分かってくれません。勝手に相手に分かってもらえると期待をして、それができないと相手を責めるのは、自分では一歩も動かずに快適な場所に連れて行ってくれと言っているようなもの。

タクシーに乗ってどんな場所に行きたいのか察して動いてくれるのを期待して待っているだけと同じ。普通わかるでしょ、って?普通わかりません。

そしてさらに期待と違う場所に到着すると、わかってくれないとヒステリーを起こす。わかろうともしてくれなかったと怒る。

なぜか依存の人は感じることが得意な人なのに、相手の気持ちを感じるのをさぼるところがあります。

相手はあなたを喜ばせようと思って一所懸命に考えて快適と思われる場所に運ぼうとしたり、急に機嫌が悪くなる地雷を踏まないように神経を使ったり、あなたからはそうは見えなくてもそうしています。

でも、どストライクのどんぴしゃで分かっていないと、違う、わかっていないと責められる。そんな相手の気持ちを考えたことがありますか?

責める前にわかるように言葉で伝えたでしょうか?

そんな簡単なことわかるでしょ、ってあなたが思うほど、あなた以外の人には簡単なことではないのです。

相手にしてみるとそれは、モノクロの世界しか見えないのに赤い色の場所へ行けと言われているようなもの。あなたには赤は見間違えようなくそこにあるけれど、そもそも赤色を識別するアンテナが他の人にはほぼ搭載されていないです。だからいったいどこのことを言っているのかさっぱりわからないのです。

赤がどんな色なのか、とか、あなたには見えている赤色に到達するにはどこを通ったらいいのかとか、なぜ赤色の場所に行きたいのかとか、そういうことを説明しなければ、赤色がわからない人は途方にくれるだけなのです。

赤色はあんなにはっきりと見えて簡単にわかるじゃないか、と思っても、それはあなたが100人中1番に色の識別が細やかな人だから。トップ10に入る人にだって、あなたの赤を見つけるのは至難の業です。

またもし、赤が分かる人がいたとして、見えるなら行ってくれて当然と思うのも相手にとっては違うかもしれません。赤があれば当然逃げるでしょ、って思っている場合だってあります。

相手に勝手に期待して、勝手に失望し、そしてわかってもらえないのは自分にはわかってもらえる価値がないからだ、と決めてしまう。自分のことなんてみんな分かりたいとも思わないんだと決めてしまう。そうやって自己肯定感、セルフイメージをどんどん下げていく。

それは違います。あなたを大切に思う人は赤い場所にいきたいあなたの思いを知りたいと思っています。あなたが笑顔になるのを見たいから。いつでも自分にできることをしたいと思っています。だから悲しそうな顔のあなたを見ると助けたくなってしまうのです。

それがうっとおしいのも分かります。助けてほしいわけじゃない。赤色を一緒に見てほしいだけ。だったら、赤色を示す労力を自分でとる必要があります。そこだけはあきらめてください。

人にわかってもらうことをあきらめろ、ということではありません。他力に頼るなということでもありません。

この人たちは言わないと分からないんだ、ってあきらめるのです。愛犬に人間の言葉を話してもらうのを期待しないのと同じです。期待していないからといって、犬とのコミュニケーションそのものをあきらめはしませんよね?

頼っても、期待はしない。人は全員違うから、赤色が見えない人もいるし、赤色が青色に見える人もいるのです。あなたよりもっと細やかに赤色を区別してみている人もいます。

わかってもらえないことは問題ではありません。わかってもらいたければ、分かってもらうために自力で説明するのです。分かってもらいたいのはあなたなのですから。そこはあなたのタスクです。

そして残念ながら、100%わかってくれることもほとんどありません。あなたほど細やかにわかる人はいないのですから。犬が人間の言葉を話せないのと同じ。でもワンとは言うかもしれません。あなたに合えたのが嬉しくてしっぽは振っているかもしれません。しっぽを振ってほしいんじゃない、人間の言葉を話してほしいのよ!と怒るのは違いますよね?

自分の満足、自分の癒しを他人に預けることは依存です。他人の反応を基準にすることが依存です。

わかってもらえないのはあなたにその価値がないからではない。あなたにはとんでもなく多くの色が見えるという才能があるだけの話です。

わかってもらえないという才能を認めて受け入れて、すばらしいと思えたら、その才能を使うことができます。

すると、分かってもらえないことが問題ではなくなります。価値がないと思っていた自分という存在が、いとおしいものになります。

あなたが自分を嫌いなのは、自分は好かれてもよい存在かどうかを他人の対応で決めているから。そして、好かれているかどうかをものすごく狭い自分だけの基準で判断しているから。

好かれているという判断基準が狭すぎるし、嫌われているという判断基準が広すぎるのです。

人はあなたが思っているよりもあなたのことを好ましく思っているし、あなたが思っているよりもあなたの失敗を気にしていないのです。

嫌われるのが怖いから、いい人を無理してやりすぎて、いつもてんぱっているからちょっとしたことでヒステリックになったり拗ねたり。それでまた嫌われるようなことをしたと落ち込んだり。

いい人になろうとか上手に付き合うとかぜんぜん気にしてなくて、失敗したらごめんとすぐに軽く謝って、いつも楽しそうにしている、そんなかるっちょい生き方でいいのです。

そういう人にむかつくのは、その逆をあなたがいつも張り詰めてやっているから。もうそのギリギリにはりつめたものを緩めていいです。

あなただって誰かの赤色がわからなくていいのです。ごめん、私には赤色が見えないけれど、あなたが見せたいと思っているものを私も一緒に見たいと思う、それでいいのです。

自分に対してそれを許せたら、赤色が見えない人のことも許せるようになります。



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