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ステージが変わると起きること
ステージが変わるって、それまでの物差しが意味をなさなくなることなんだと思います。
わたしたちはなにかを判断したり選択するとき、自分なりの基準に照らして決定します。「する・しない」、「よい・わるい」を決めるためのものさし、知らず知らずにもっていて必ずそれで図って決めます。
でもステージが変わると、その物差しが物差したりえなくなる。
たとえばお金持ちになればなるほど、お金よりも時間が大切になるといいます。お金>時間のときは、時間を使ってでもお金を節約したいと思う。反対にお金<時間になると、お金を使って時間を節約したいと思う。
お金<時間の人は、時間を節約できるならいくらお金がかかってもいい、と思うわけで、大金持ちの人はいつでも望むところへ移動できる手段を持つわけです。
コスパという物差しが意味をなさなくなるのです。
また逆に、お金は幸せに関係ないという方向でステージアップした場合も、コスパという物差しは意味がなくなります。お金を節約しても幸せが減るならそれは良い選択ではないと感じるから。
自己承認のステージが変わると、それまで気になってストレスだった人の存在が気にならなくなったり、そもそも他人の思惑がどうでもよくなったりします。他人がどう思うかが基準だったところから、自分がどう思うかという基準に変わったので、他人の思いを測る物差しが役に立たなくなったわけです。
魂的なステージアップがあると、自我がしがみついていた物差しが消え、いかに身体が喜ぶかや、魂が喜ぶかが基準となるでしょう。
他人も自分も神もひとつだという域になれば、ひょっとすると選ぶという行為そのものの意味すら消えるのかもしれません。だって何を選んでも、誰かにとってそれが損でも誰かにとって嬉しいことなら、誰にとっても幸であることだから、個である自分に都合がよいようになにかを選択する必要がなくなります。
今、守っている基準や使っている物差し、それは今の段階では絶体なものに感じます。
でも、それは今の自分だからであって、他の人や過去や未来の自分もその物差しを使っているとか限らない。
だとすると、その物差しがもし今の苦しみとつながっているのであれば、いっそその物差しを使うことをやめてしまえばいいのです。成功や美しさや自由さや健やかさ、そうしたものの物差しにこだわるということはそれらに執着しているということ。
自分の物差しでは測り切れない、それでいい。それを認めるとその物差しがいらないステージに移行していく。あれ?なんでこんなことにしがみついていたんだろう。そう思えたらステージが変わったという証拠です。
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