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お金を遠ざけるお金へのネガティブな感情
最近お金についてのEQ(感情的な知能指数)を学び返しているのですが、昨日は、なんどもいろんな人の言葉で聞いてきてスルーするようになってしまっていたお金へのネガティブな思いを、左脳が静まっていたからか素直に感じることができました。
3つあったのでそれぞれ紹介し、後半でその解消法を説明していきます。
1.お金は汚い。
ひょっとするとこの思い込み、自分にもあるのかも。これもねえ、表面意識では「わかるわかる、でもわたしはないかな~。だってモノとしてのお金と概念としてのお金って別物だってわかっているもん」て思っているけれど。
お金はたくさんの人の手を介しているからなにがついているかわからない。汚いから触ったら手を洗いなさい。母親からよく言われていた言葉が今日も思い出されたんだけれど、今回はそれを聞いたときの小さい自分が感じたことがそこはかとなくふわっとだけれど、蘇ったのです。
母の言葉は、ものとしての貨幣や紙幣に対しての言葉だけれど、ものごころついたときから言われていたのだろうから、お金=汚い、という言葉は刻印のように脳に刻まれていたとしても不思議ではない。
汚いからずっと持っていちゃいけない。手を触れるときは注意する、触ったら手を洗う、それが私の無意識に書き込まれている。
2.罪悪感
「お金も時間もあまるほどある。それを自分の好きなことに自由につかっていい」と意識を変えるといいと並木良和さんがいっている動画を聞いて罪悪感を感じた。好きなことに自由にお金をつかうこと、いや逆だ。お金をつかって好きなことを自由にすることは、親に見つかってはいけない、と思っていることに気づいた。
こんなことにお金をそんなに使って!ぜいたくね、とか、いい身分ねとか、非難され、じゃあもう勝手にしなさいと放り出されるのではないか。
だからお金をかけて好きなことをするにには親の目を盗んでしないといけない。
そんな恐れがしつこい染みのように心に張り付いている。
3.お金に好かれないと私のところに来てくれない。
それは子どもの頃いだいていた父親への思いと同じ。好かれていないから来てくれない。この考えが根強くある。そしてそれを大人になるにつれ、理不尽さとして認識するようになり、好かれない悲しさは理不尽さへの怒りへと変わる。あんたになんか好かれなくたっていい、私の方からお断り!そんな怒り。これが燃え盛っていた時は、たまに父親が買ってきてくれるお土産なんかも、好みにあわないと買ったお店にもっていって別のものに取り換えたりした。わたしの好みをぜんぜんわかっていない、わかろうともしない。聞きもしない。だからこうなるんだ!って。
来てほしいのに来てくれない=好かれていない。父親の自分への愛情を自分のところに来るという形で感じようとしていた構図をお金に対してもあてはめている。お金だけでなく、組織の権威性を象徴する存在や、パートナーにも投影として現れる。自分が望むときに望んだとおりに来てくれない。つまり私を好きではない。この思考は寂しさを生み、怒りを生む。ということは、今もお金に怒っているだろうし、あんたなんかいらないと思っていることになる。私からお断り!って。あらら。
理性的に構図を理解することで、解消したと思っていたこうした感情は、ただ整理整頓されて取り出しやすく見やすい場所に収納されただけだった。
今回は理性ではなく、感情、ハートにどうしてほしいのかを問いかけながら、丁寧に思考を書き換えたり、手放す作業をしてみた。
私に実際に起きたこと、やっていることを紹介していきます。
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