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全部やりつくしました、と言える人生を生きるには

サッポロ黒ラベルの最近のCMで、思わず手が止まった言葉があります。

ーやり残したこと?
「ないです。全部やりつくしました。」

仲代達矢さんの言葉です。

大御所俳優で、役所広司さんはじめ数々の名優を輩出した「無名塾」の主宰。

よく聞くシンプルな言葉。でもふと「全部やりつくした」という言葉の重みが、私がこれまでやり残したことがない人生というものに抱いていたイメージと重みが全然違うのではと感じたのです。

やりたいことをすべて実行して後悔がないというのは、やりたいけれどそんなことは無理とか、そこまでやってはいけないとか、勝手に自分に制限をかけてできないこと、やってはいけないことと思っていることを制限かけずにやる、ということだと思っていました。

これは、やればできると思っている、ということが前提です。「お金があれば、時間があれば、仲間がいれば、家族に認められれば、社会が許せば・・・できるのに」ってことなので。

でも仲代さんの「全部やりつくしました」はさらにその先、自分にかけた制限なんてとうに突破した先に見えてくる、やりたいことを実現してきたってことなのではないかなと感じたのです。

どうやって実現すればいいか分からないこと、立ちはだかる障壁が大きすぎて突破口が見えないこと、自分の想定の外に行かないと実現しないことを、もがきながら、あがきながら、道をみつけてやってきた、そうでないと「全部やりつくしました」とは言えないと思うのです。

前回の記事に、苦しいパターンが何度も繰り返すのは自分より上にその問題の根源を置いているからだと書きました。

なにものにも自分の人生の優先順位一位の席を渡さない。自分の望みこそ至高でありそれを叶えるために今やれることすら超えていく。これは幸せに自分の人生を生きる大きな大きなステップです。これすら簡単ではありません。なぜなら自分そのものであると私たちが思っている自我がそれを邪魔するから。

そう思うと、人生で終わることなく立ち現れる困難や課題というのは、ちゃんと自分を人生の一番上の席においているか、が試される機会であるとともに、その自分が本来持っている力を惜しみなく発揮するための起爆スイッチなのかもしれない。

コンフォートゾーンの中の「やれること」はその外の「やれること」とは全く違います。

夢と困難は、私たちが本来の力を思い出すための装置。困難は道が間違っていることを示すためでなく、本来自分が選んだ道だからこそあらわれるもので、自分が足りない、資格がないと嘆いて諦めるためにあるのではない。

私は今、どうしようもない心残りもないし、やり残したこともないと思っています。でも、この仲代さんの言葉は「挑戦できるとすら思っていなかったから挑戦しなくても別にいいや」と思っていることはないか、と私のハートに問いを突き付けます。

今じゅうぶん幸せ。この収入、この仕事、この人脈、この時間の使い方、身の丈にあって不足はなくて、まるでご褒美のような後半人生だなと先日思ったとたん、この言葉がズキンと刺さりました。

そうなったら、やり残したことはないとは言わせない何か燃えるものがみぞおちあたりにともりました。


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