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豊かさと貧しさの統合

豊かであることの恩恵は誰でもいくらでも思いつくでしょう。でも貧しさの恩恵はというとなかなか出てこないものです。頭では考えつけても、実感をともなって貧しさの恩恵を語るのは難しいと思います。

むりやり見つけ出して言葉にしてみても、今じっさいに貧しさを感じている人には苦しいだけかもしれません。また、貧しさに恐怖を感じる人は、たとえそれが恩恵であっても近づきたくもないものでしょう。

それはつまり貧しさという概念や状況を自分から分離させているということです。

分離しているから恐怖を感じる。恐怖を感じるから分離させておきたいのです。

貧しさの恩恵を心から感じられると、貧しさが怖くなくなるはずです。貧しい時期、貧しい体験のおかげで豊かさにつながった、それを腹の底から理解できたら、それは貧しさと豊かさがひとつになっていることになります。

あの貧しい時代があったから今の豊かな自分がある、こう語る経済的な成功者は少なくないです。これは貧しかった過去を受け入れ、貧しい自分も自分であると認めていると言えるでしょう。

その人の中で、今の自分と過去の貧しい自分はひとつで、別物ではないのです。貧しさも過去も否定していない。あたたかな感謝を過去にも今にも放っている。この人はきっと、どんな時もかわらずあたたかく、感謝に満ち、おだやかに生きていると想像できませんか?

では、貧しさは実際、なにを連れてきてくれるでしょう。

ひとつは、所有や購入するものの優先順位がはっきりします。なんとなく買っていたもの、持っていたものをあきらめざるをえないことで、本当に自分が必要としているもの、好きなものを厳密に選択し、残るのはこれだけはぜったいに持っていたいと思うものだけになります。

自分がなにが大切なのかを決め続ける状況を、強制的につくってくれるのが貧しさです。

手放し続けた結果、ミニマムな、自分に偽りなくフィットするものだけがのこって、おそらくまとうエネルギーは純粋で軽くなるはずです。管理しきれないものや、いらなくなったもの、不安だけで手に入れたものなどがぶらさがっていないからです。

ただ、自分ではなく社会や他人の尺度で優先順位を決めようとしている間は、エネルギーは重く苦しいものになります。所有していることをなにかの尺度としていると執着になるのです。それがないと自分の価値がなくなるというような不安が後ろにあるからです。

2つめの貧しさがもたらす恩恵は、あってくれるものへの感謝です。

たくさん所有していたり、あることがあたりまえに感じていると、それら一つひとつの存在感が薄れ、それが自分のもとにあることがいかに奇跡であるかを感じられず、ものや体験との絆は漫然としたものとなります。

すると余計に、明確なお金という尺度でしか豊かさを測れなくなっていきます。

そうなると、お金をつかわずに来てくれるものに気づきにくくなります。豊かさをの基準をお金にしか見いだせないと、経済的な価値があるものとしてしか豊かさを受け取ることができません。でも、貧しいということはある意味、経済的な豊かさの基準から自由であるということで、お金という価値基準にはまらない豊かさを無数にキャッチし、受け取ることにオープンになれる可能性があります。

これは貧しい人は誰でも、ということではありません。そこに大切なのは、軽さだと思います。

貧しいという状況を問題だと決めて、排除しなければいけないものと認定し、その方法を考えさせようとするとエネルギーは重くなります。

問題を抱え続ける自分。排除しなければいけないものと同一化した自分。解決策が思いつかない弱者である自分。どんどんどんどん、思考がどんよりしますね。

ここで、お金ではない価値に対しフルオープンになると決める。貧しさは問題だと叫び、なんとかせねばと叫ぶ思考に振り回されない。

たとえば、結婚したときにいざという時に使いなさいと親が渡してくれて、でもずっとお守りのように持ち続けたお金があるとします。

それを経済的に苦しくなった時にどうしようもなくて使おうと思う時、「親がくれた大切なお金をこんなことに使ってしまうなんて自分はだめな人間だ、親不孝だ」そう思う人と、「ああ、このお金があってくれてよかった、お父さんお母さんありがとう」と思う人とで、親が渡してくれたお金を自分の幸せのために使うという同じ行為でも、重さが全然ちがいます。

後者は軽くて、お金もなんだか気持ちよく流れていく感じがします。そして、おかげで安心や感謝を感じることができます。お金は問題を解決するだけでなく、幸せなエネルギーをこの人にもたらします。

前者の場合、お金はその問題を解決することだけに消えて、自分責め、罪悪感というさらに重いエネルギーを拡大させます。おそらくこういう人は、自分を責め、自分の貧しさを責めているのです。

そのネガティブな思考が問題だと認知させている暗い感覚を持ち、しかもそれはお金でしか埋めることはできないと決めている。なので、本当はお金以外の形でもたくさん来ている豊かさに気づかず、貧しい、ない、という世界を変えることができないのです。

ただ、今この瞬間、貧しさの恩恵を心から感じられない自分はやっぱりだめだ、ということではないです。それはやはり、ない方へのフォーカスであり、すでにあるものを見ていないことです。

この記事を読むことになったということは、ここに書かれている情報や、エネルギーがあなたにもたらされたということです。

そしてこの記事を読もうとしたということは、なんらかの貧しさを自分に感じているからで、つまりその貧しさがもたらした恩恵なのです。

持ちすぎている人は、探しにいきません。自分が求めているものがなにかを感じられるからこそ、それを求め探しに行くのです。

貧しさの恩恵の3つめがここにあります。自分への感度が高くなるのです。

貧しい、ということを悪だととらえると、こうした恩恵はスルーしてしまうでしょう。または、きれいごとに聞こえるかもしれません。

ここが分かれ目です。貧しさの恩恵を受け止めることで、貧しさと豊かさの統合が始まります。豊かであるということは、これらの恩恵を常に感じているということだからです。

つまり貧しさと豊かさの恩恵は同じなのです。

経済的に豊かであっても、この恩恵をスルーしていると、豊かさの恩恵も感じられず、豊かであると思えないかもしれません。経済的に豊かなのに幸せでない人はそんな人です。

幸せに豊かさを享受する準備として、貧しさの恩恵を学んでいる。もし今、経済的に苦しいのであれば、そういうことなのだと思うのです。


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