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ワンネスと自我とひき肉
ワンネスってどんな感覚なんだと思いますか?
私は自分の個の意識が全体とつながるイメージをもっていたので、今の自分と思っている意識が溶けて広がって全体の意識にまで大きくなるような感じかなと思っていました。
でも、実際に体験した人の話によるとどうやらそうではなく、今の個の意識もあるまま、他者の個の意識もあるし、さらにそれらを俯瞰する意識もあるって感じらしい。
そこから、個って自分という水風船に入った水みたいなものなのかなって思いました。水風船が割れれば、水は形を失って地面に落ち、染み込み、いずれ蒸発するか地下水になって流れるか。
蒸発した水は空に上昇して雨となって地球に振る。地球に振った雨は集まって水道から流れ出し、ふたたび別の水風船の中に入るかもしれない。
あるいは地下水となって川に流れ海に出て、海面から蒸発して空にのぼり、冷やされてまた海にふるかもしれない。そうしたら水風船にはならず水風船の大きさだった水は大海となる。
どちらも同じ水で、循環して、大きさとかどこにいるとか全くその質や価値に関係がない。
個であるときも大海であるときも。
あるいは。
ひき肉のつぶみたいだなとも思う。
ひき肉は3ミリぐらいのぽろっとした粒に分かれるけれど、実は全体でハンバーグとかになる肉なわけで、もとも同じかたまりの肉。
ぽろっと別れたひき肉の粒は個であるようで、かたまり肉と変わらない肉でもある。小さいハンバーグにもなるし、大きなミートローフにもなる。ぽろぽろとなってミートソースにもなる。
水風船の水が「自分」として意識している自我だとすると、ワンネスは大海ですらなく、水の循環そのものだということになる。大海も自分だし、水蒸気も自分、境目はなくつながっている。でも風船とかコップとか、プールとか海とか、どの器に入るかでいっとき個別の存在のような顔になる。
つまり水風船の水は大海の水をうらやましがったり、水蒸気をみて自己卑下したりすることはまったく無意味。だってどれも自分だから。集まればひとつの水となる。水風船の中にあった水と他の水は境目がなく区別もつかない。
こうなると、他者との関係でもってしまう感情も意味がなくなる。すべてが自分だから。セルフイメージとはどこまでの自己について指すのか。水風船の自分のセルフイメージは大海の自分とはつながらない。
隣りの水風船と張り合ったとて、同じ自分が中に入っているのに張り合う意味がない。
隣りの水風船はAさんに買われ、別の水風船はBさんに買われ。AとB、環境が違うけれど、それは水風船の中の水の質や価値になにも影響を及ぼさない。一つの器に空ければ、一つの水になる。
上手くいっている人もあなたとつづく一つの存在。入っている器で優劣、上下はない。これを心の底から実感し、体験することがワンネスを体験するということなのかもしれない。
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