恋の奴のつかみかかりて~梓澤要『万葉恋づくし』
人はなぜ恋をするのだろう。
生命を維持して、受け継いでいくだけのためならば、夜も眠れないほど誰かを想ったり、嫉妬で気も狂わんばかりになったり、天にも昇る気持ちになったり、この世の終わりみたいに絶望したりする必要は、まったくない。
恋をとりまくあれこれは、まったく不条理で、非効率で、不要不急だ。
それなのに。
有史以来、人類は恋をやめられない。
気軽に人と会うことが難しくなり、人と人が透明なアクリル板で隔てられ(20世紀のSF小説みたいだ)、オンラインで会話することが日常になってもなお、人は恋をする。
梓澤要『万葉恋づくし』を読む。
万葉集の恋の歌を題材に、恋の物語が7つ、収められている。
妻子がいるにもかかわらず、単身赴任先で出会った若い女性に夢中になった男性。
親子ほど歳の離れた年下のプレイボーイの甘い言葉に、心の鎧を溶かされていく女性。
長年連れ添った夫の不甲斐なさに苛立ち、離縁を突きつけながらも、若い女の影に心乱れる妻。
家にある櫃(ひつ)に鉤(かぎ)さし蔵(おさ)めてし 恋の奴(やっこ)のつかみかかりて
【万葉集巻十六 穂積皇子】
恋なんてもう、こりごりだ。
そう思って、箪笥の奥にしまい込みしっかり鍵をかけておいたはずなのに、「恋の奴」はある日突然、問答無用でつかみかかってくる。
そうなったら最後、私の平穏な人生を返して!と叫ぼうとも時既に遅し。
後ろ指さされ恥をかいても、爪で大地を引っ掻くような惨めな想いをしても、後戻りはできないのだ。
それにしても『万葉恋づくし』に登場する「恋の奴」の被害者たちの、なんと人間らしく魅力的なことか!
迷い悩みながら、損得もプライドもかなぐり捨てざるを得なくなった彼らの想いは、理由がない故に純粋で美しい。
千年前も今も、通信手段や世の中の仕組みがどんなに変わろうとも、人が人を恋する気持ちに何ら変わりはないのだ。
*
人は、なぜ恋をするのか。
理由なんてない。
恋をしようと決めてするものでもない。やめた!と言って止められるわけもない。
それは突然つかみかかってくる猛獣であり、いつもの道に突如あらわれる落とし穴である。
人生最高の喜びも、最悪の絶望も、恋が教えてくれる。
恋の奴はつくづく厄介だけれども、もし次に生まれ変わるとき、恋の奴が棲息している世界と、存在しない平和な世界を選べるのなら、私はやっぱり、ある日突然そいつがつかみかかってくる世界を選びたいと思うのである。
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