「空っぽ」の私がつづるラブレター(古賀史健さんのライター講座を聴いて)
「空っぽ」であることが、ずっとコンプレックスだった。
取材をして、文章を書くという仕事をしていると、日々たくさんの素敵な人に出会う。
みんな、自分の中に語るべき言葉や、ストーリーを持っている方ばかりだ。
一度として同じ取材はないので、取材の前はいつもワクワクする。
聞かせてもらったお話で自分の中をいっぱいにして、1滴もこぼさないよう大切に持って帰って、原稿にする仕事はとても楽しい。
でも、全力で原稿を書き、間違いや引っかかりがないよう何度も読み返しながら修正して完成させ、旅立たせた後、いつも思うのだ。
「ああ、また空っぽに戻っちゃったな」と。
お祭りが終わった翌朝、魔法が解けた空き地で、盆踊りの舞台が解体されるのを眺めるような、何とも言えない寂寥感。
みんな、語るべき言葉をたくさん持っているのに、私自身の中には何もない。
なーんにも持っていない私の、空っぽで透明な箱の中を、すうすうと風が吹き抜けていく。
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noteで開かれた、古賀史健さんのライター講座を聴いた。
古賀さんは、ベストセラー『嫌われる勇気』を執筆した、ライター界のスターだ。
無料だから…と軽い気持ちで聴き始めたのだけれど、どんどん惹きつけられて、耳も目も離せなくなった。
「自分は空っぽの人間だから、山ほど取材する」という主旨のことを古賀さんが言ったとき、息を呑んだ。
これほどの人でも、そうなのか。
自分を、空っぽだと思っているんだ。
空っぽだから、取材したり、本を読んだり映画を観たりして、どんどん自分を満たしていく。
取材すること、すなわち自分を満たすことは「手紙」をもらうことだと古賀さんは言った。
ライターが書く文章は、もらった手紙への「返事」なのだと。
話を聞かせてくれた人、素晴らしい本を書いてくれた人、心震える作品をつくってくれた人。
コンテンツを作ることは、全身全霊で彼らに「ありがとう」の想いを伝えることだ。
対象への敬意が高ければ、文章も自然と丁寧なものになる。
ライターが雑な文章を書くとき、それはすなわち敬意が不足しているのだと。
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古賀さんの話を聴きながら、私は何だか声を上げて泣きたいような気持ちになっていた。
世界の片隅でライターと呼ばれる仕事をしながらずっと迷い続けていたこと、自信がなくて不安だったことに、「それでいいんだ」と背中を押してもらった気がした。
私は、空っぽでよかったんだ。
空っぽだから、知ったかぶりはしないで、理解できるまで話を聞いた。
空っぽな自分のエゴが入り込まないよう、せめて箱の透明度を保つよう心を尽くしてきた。
空っぽだから、相手への尊敬を指針にして言葉を選んだ。
1滴残らず全部出し切るまで書いて、原稿を送り出した後はまた、空っぽの箱に戻る暮らしを繰り返してきた。
本当にこれでいいのかなって迷いながらやってきたけど、間違いじゃなかったんだなあ。
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子どものころから、世界のあちこちにある美しいもの、素敵なことを、すぐ大好きになってしまう。
好きになりすぎて、想いがあふれ自分の小さな箱に収まりきらなくなり、その素晴らしさを誰かに伝えたくて文章を書く。
渾身のラブレターを書き終えると、すっからかんの箱に戻る。
そのたびに、もう二度と箱がいっぱいになるような素敵なことには出会えないだろうと思う。
空洞を抱えてうずくまり、なんとも言えない孤独を感じる。
金輪際、世界を愛するのはやめようと誓う。
けれど、しばらく経つと、また必ず出会ってしまうのだ。
全身全霊で大好きになって、その存在に「ありがとう」を伝えずにはいられない、どうしても書かずにはいられない素晴らしいものに。
かっこ悪くて笑っちゃうけど、これからも、たぶんそういうふうにしか生きられないんだろう。
どうせなら、この際。
おばあさんになって別の世界へ旅立つ最後の瞬間まで、ずっとこの世界に夢中で恋をしていたい。
もっともっと美しいものがあるって、まだまだみんなに伝えたいと思いながら目を閉じて、あの世へ行ってもきっとまだ、空っぽの箱を抱えてうろうろしているんじゃないかしら。
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私が聴いた講座の内容が含まれる古賀さんの新刊は、4/6に発売されるそうです。
どんな本なんだろう。ああ、きっとまた大好きになっちゃう。楽しみだなあ。
読んでいただきありがとうございます! ほっとひと息つけるお茶のような文章を目指しています。 よかったら、またお越しくださいね。