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自分だけの花を咲かせる~葉室麟『嵯峨野花譜』

いつの頃からか、道ばたに咲いている花の名前を知りたいと思うようになりました。

20代の半ばくらいまでは、遠い未来や空ばかり見て、いつも急ぎ足で歩いていたので、足もとに咲いている花を気に留めることもなかった気がします。

子どもが生まれ、その小さな足の運びに合わせてゆっくり、目線を下げて歩くようになって、いつもの道にこれほどたくさんの花があったのかと驚きました。

スピードや高さが変わるだけで、世界はまったく違う側面を見せてくれます。

新しい花に出会ったら写真を撮って、帰宅してから子どもと一緒に植物図鑑で名前を調べます。

最近では、AIが花の名前を教えてくれる便利なアプリもあるようです。

名前を知ると、その花と、少しだけ仲良くなれたような気がします。

悲しいとき、悩んでいるとき、名前を知っている花の近くへ行くと、慰めてくれているように感じることもあります。

花にも出身地や生態によって百花百通りの個性がありますが、言葉ではなくその色彩で、佇まいで静かに寄り添ってくれる、総じてやさしい種族ではないかと思います。

葉室麟『嵯峨野花譜(さがのかふ)』を読みました。

江戸時代。京都大覚寺の若いお坊さん、胤舜(いんしゅん)が活け花の修行をする物語です。

これから読む方の楽しみを奪わないよう詳細は避けますが、胤舜には出生の秘密があります。

誰かのために一期一会の花を活けるたびに、胤舜は生きることの哀しみと、よろこびを知っていく。とてもやさしく、美しく、心が安らぐ物語です。

言葉の力で、あたかも目の前に花が活けられ、匂っているように感じさせるのは、簡単なことではないと思いますが、葉室麟さんは見事な筆力で、小説の中に次々と花を咲かせていきます。

読む人それぞれ、心に残る花があると思いますが、私が印象的だったのは嵯峨野、祇王寺の青紅葉でした。

祇王寺は、平清盛の寵愛を受けた白拍子、祇王の小さなお寺です。

個人的に大好きなお寺ということもあり、「祇王の伝説をこんなふうに表現するのか!」と瞠目しました。

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その美しさと儚さ、命の短さから、花は「人生の時間」を想起させる存在でもあります。

「あなたはどんな花を咲かせるの?」とやさしく、けれど力強く問いかけられているような、心地よい余韻の残る読書でした。

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