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子育てにこそ「コンセプト」は大事なんじゃないかと。

「子どもの興味関心を大事にしたい」と言っていた人が、よくよく話を聞いていると、親の意向でピアノだ、くもんだ、英語だ、茶道だ、水泳だ、体操だ、とあれでもかこれでもかと習い事で子どもの時間をがんじがらめにしてしまってることがある。

「それは忙しいねえ、お子さんも大変だけど、ママも送り迎え大変だねぇ。」と言うと「子どもはね、(習い事は)行けば楽しいっていうのよ。」

ふうん。(習い事はサービス業だからね、子どもを楽しませてなんぼなんじゃないかなあ。)

「(受験などは経験させずに)のびのび自由に育てたい」と言っている人が、通信教育や塾で子どもに学校の先取り学習をさせていると知って「へぇ、なんのために?」と思わず聞いてしまうこともある。

「学校の勉強についていけないと困るだろうし、ゆくゆくやるんだから先に知っておいて損はないかなと思ってね。」と返ってきたりする。

ふうん。(こういう風に育てられた子は大人になったときに「自分はのびのび自由に育ててもらった!」って実感するのかなあ。「まだ知らない」っていうことにも価値があるんじゃないかなあ。知ってしまうと知らなかったときのその子には戻れないんだけどなあ。)

こういう人たちに出会うたびに、私はちょっと混乱する。(こういう人が実は割と多くいて、私は頻繁にちょっと混乱する。)

子育てや教育は人それぞれだし、それぞれの家庭の方針というのがあるし、正解はないし、私がとやかく言うことではないし、そもそも私は意見なんか求められていないから、「そうなのね…」としか言わないけど、ちょっと違和感がある。「言ってることとやってること、ちょっとずれてないかな?」と思ってしまう私は堅物なのだろうか。日常会話として流してしまえばラクなのに。しかも我が家のことでもないのに。それなのに悶々としてしまうのは完全なる無言のおせっかいなんだろうけれど、ついそのご家庭のお子さんの顔がちらついてしまう。「あの子、忙しいんだな。大丈夫かな。」「あの子、知りたいことを知りたいタイミングで学べてるのかな。」

おせっかい以外なにものでもない(笑)。

ひたすた悶々としていても不毛なので、そんなときは我が家のことに置き換えて考える。人のふり見て我がふりなおせっていうし。

うちの子等も習い事をしている。どれも本人たちが「やりたい」といったものを厳選しているつもりだ。この「つもり」が要注意だなと思う。ときどき確認しないと。

習い事に関しては、我が家なりのルールがある。子どもたちとも共有しているルールとしては

子どもから「始めたい」と言ってきたものに限る。親の意向は入り込む余地なし。(もちろん話し合いはする。)

それをやることによって忙しくなりすぎない。予定が何もない時間を大事にする。

という二つ。

その前の前提として、夫と同じ考えでいるのは「塾や勉強系の習い事は基本的に必要ない。」ということ。(例外として長女が中学受験をすると決めたときは通信教育を受講したのちに進学塾に通わせたけれど。)

なので、言っていることとやってることに乖離があるのにそれに気がついていないように見える人たちと会って悶々としてしまった日は、我が家のルールを思い出して、自分たちがブレてないか、子どもたちの心境に変化が出てきてないか、照らし合わせて考え直す。

いまのところ、ブレもずれもなさそう、と確認できると安心する。

こうして考えてみると、子育てにも「コンセプト」って必要なんじゃないかと思えてくる。ビジネス書や会社のミーティングなんかでは、すぐ「コンセプトが大事」「理念を持とう」なんて出てくるけど、家庭内の子育てこそ「コンセプト」とか「理念」って大事なんじゃないかと。だって子育てって20年くらいある一大プロジェクトじゃない。紆余曲折はあれど途中で「うまくいかなかったのでやめます!」って言えない責任重大なプロジェクトじゃない。コンセプト忘れちゃったり、そもそも持っていなかったら、そりゃ矛盾した行動に出てしまうかもしれないし、行動指針がなかったら自分たちのやってることが大筋から外れていることにも気がつけないかもしれない。

うん、コンセプト、大事。我が家の子育てコンセプトも近いうちに言語化してみようと思う。







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