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「謙虚さ」への誤解をしていた

「謙虚さ」社会人歴が長くなってから、つねに頭の中にある言葉。
柔軟に成長したいし、会社の中で自分より年次の高い人が少なくなったこともあって大切にしている言葉。

「謙虚さ」という言葉が気になりはじめた

毎日noteの更新をはじめ、自己内省をする機会が増えたこととnoteに書くことに対して考え始めた。

なぜか、私は自分に自信がない。。

そういえば、去年の内定式で内定者の男の子へ向けて選考に関わったから応援の手紙を書いて読んでほしいと依頼を受けたことを思い出した。

一生懸命手紙を書いて、内定式で読んで渡したのだが、そのあとのこんなことを思っていた。

「私なんかより、もっと熱い想いをもって、手紙が掛けて読める人がGCにはいる。私になっちゃって申し訳ない。」

なぜか自分に自信がない。と思っていた。

最近、広報を任せてもらえるようになったことと、毎日noteで自分の考えていることを書いていることで、その「なぜか」が気になり始めた。


なぜか

「自分に自信がない」になぜかがつくのはなぜなんだろう。
自信を無くす経験をしたとかの、明確な事象が見当たらない。

あれ。。

なんで。。だ?


ここで「謙虚さ」という言葉の捉え方が、変な方向に向いているのではないかと仮説をもった。

謙虚さ
自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。

「偉いものと思わず」が「わたしなんて」を引き出してきている可能性がある。「すなおに他に学ぶ気持ち」が「自分に自信がない」につながっている可能性がある。


あら。なんだが、私の中の解釈が謙虚さと自信がないが絡み合っていた。


役割の変化

会社がフラット型組織になり、マネージャーが廃止になった。
以前までは、リーダーが自信を失ってはいけない。みんなをマネジメントして引っ張っていく存在でありたい。とマネージャーをしていてリーダーという役割があったから、謙虚さと自信のバランスが取れていたのかもしれない。

マネージャーとして、どう在るべきか

私にとって、いい問いだったのかもしれない。
謙虚であることは、自信がないことではない。
気がつけてよかった。新しい問いをもとうと思う。

GCの広報としてどう在るべきか

謙虚さと自信のバランスを取りながら、どんな人を仕事がしたいのか。
たくさんの問いを持ちながら過ごしていきたいし、螺旋状の成長と言っているのは、どの成長フェーズにいるかで見える世界が違うし、結局また成長した先に同じような問いが待っている。

私は、自分自身がどうなりたいの問いが弱い。

でも役割としてみんなのためにどう在りたいかは強くなれる。

毎日noteのお陰で気がつけた、新しい成長の一歩。


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