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死んでしまった私の部屋で

先日、ある物を取りに行くために、久しぶりに実家に帰った。実家といっても車なら2時間以内の場所なので年に一度くらいは寄るようにしているのだが、親の顔を見るために居間に上がるだけで自分の部屋に入るのは13年振りだった。

長男が産まれた時には里帰りで一ヶ月弱滞在したのだが普段は仲の良い母なのに産後の私は上手く頼る事ができなくて、すぐに自宅のマンションに戻った。自分の部屋に入って何かをする余裕はなかったのだ。今回、古い漫画と昔観た映画のパンフを手元に置いておきたくなり、いくつかある本棚を掘り返すために13年ぶりに部屋に入った。

実家の私の本棚には手作りのカーテンが掛かっている。いつかの友達が驚いていた事があったっけ。日焼けを対策しただけなのだけど本音を見せない私そのものみたいだ。背の高い本棚の一番上の棚に大量の大学ノートが立ててある。上段びっしり大学ノートだ。全部は見てないが、ほぼ日記だ。私は24歳から普段使いのノートを無印良品のリングノートに変えたのでここに残しているノートは全て24歳までのもののはずだ。何枚か捲るうちにすぐに目を逸らしたくなった。人に読まれない前提だから文章は稚拙だし字も汚い。汚いというのは、字が下手というのもあるが、もう、文字の形にも嫌な気持ちが溢れて出ているのだ。誰かに見られたら死にたくなるくらいの掃き溜めの言葉達。絨毯に着いた足の裏が急に均衡を崩し、何かの病に急に襲われたかのように眩暈がした。

今季のドラマで「愛しい嘘-優しい闇-」というのがある。主人公が中学生の時にタイムカプセルに埋めたのが当時の日記で、大人になって掘り起こしたその日記を眺めていたりするのだが、こういう場面がドラマや映画にはよくある。日記というものはノスタルジーに浸るのに好都合な小道具で過去と向き合う時に便利だ。このドラマはミステリーで当時の事件が今に繋がる設定なので必要不可欠な小道具として登場する。ここでドラマをどうこういうつもりはない。昨晩が最終話だったが、これまで離脱せずに楽しませていただいた。

ドラマでもよく過去の日記を見る事があるように、日記という物は基本思い出を綴るものである。例えば育児日記。生まれてきた我が子の成長の悦びを書く。笑った、首が据わった、寝返りをうった、お座りしたハイハイした立った歩いた…もしくはまだ首が据わらない、寝返りうたない、云々と心配の声もあるかもしれない。どちらにしてもそこには愛情しかない。

私は育児日記を書かなかった。出産祝いに夫の友達から育児日記を頂いていたにも関わらず放置した。今もなお自宅の本棚の奥の方に放置されている。その友達は自分の母親が書いてくれた育児日記を大人になってから読んで、とても感動した経験から私達にもプレゼントしてくれたのだ。
そんなお祝いの気持ちのこもった育児日記は本棚に並べられたまま、息子達に感動を与える機会は失われ、私を追い詰めるだけの読む事のない本となった。

愛情が足りないと言われればそうだよね、としか言えないのだが、育児日記を書く気になど全くならなかった。悩みや愚痴は山ほどあったがそれを書くとこの育児日記が穢れるような気がしたのと、実際のところはとにかく余裕がなかったのだ。育児日記の存在は「お前はダメ母だ」と烙印を押してくれただけで終わってしまった。

だが、実家から出てきた大学ノートの山は忙しくても寝不足でも時間を作って書き殴っている。愛情もほっこりもない、日々の吐露と阿鼻叫喚。なんてこった。育児中は日記を書くよりやるべき事が多過ぎたと言い訳したいが、まあ、私はそういう人間なのだということだ。

昔の日記を読む時って、懐かしいな〜なんて感慨深くなったり、当時の自分を愛おしく思ったりするのが多数派なのだろうか。私の昔の日記は到底そんな風には思えず、読んでいたら気持ち悪くなってしまった。人に対して酷い事を書いているとか、欲にまみれた赤裸々な卑猥な事を書いているわけではないのだけど、なんだか生々しくてすぐにノートを閉じた。いつも何かと闘っていたのだな、ということだけがわかった。

中には演劇の書きかけの脚本や、小説のプロット、音楽を聴いて書き起こした歌詞もあった。洋楽を和訳した物、自分で書いた歌詞もある。これはこれで恥ずかしいのだけど人に見せる前提に書いているだろうからそれほどキツくない。
でも日記は違う。日記は私が生きている間に、それも近いうちに絶対処分する。そう決めてそそくさと部屋を出た。

そんなに気持ち悪いなら処分してくればよかったのに。と今は思う。迷いもせず元に戻した。それどころか、壁に貼ってあった好きだった映画のポストカードや若い頃の町田康さんの雑誌の記事、高野悦子さんの詩を書き写したものが、日に焼けて色褪せた状態で飾ってあるのを一瞬汚いから捨てよう、と処分しかけたのだけどそれもやめた。

なんか、自分の部屋なのに、死んだ誰かの部屋みたいに思えたのだ。必要なものだけそっと抜いて部屋を出た。コソ泥みたいに。

20年振りに自分の部屋と対峙し、私は私の部屋を自分の部屋と思えないくらいの時間が過ぎてしまったのだと思った。

太宰治や寺山修司、江戸川乱歩。最近買った本と同じものを見つけた時は愕然とした。それに沢山の海外の詩集。高価なギンズバーグ詩集とかほんまに読んだん?と、自分で記憶のないものまであって誰かに頂いた本なんかな?とも思ったが見覚えのある付箋が数箇所貼ってあったので私の本に間違いない。記憶喪失。多重人格。解離性同一障害。そう言えば昔、ビリー・ミリガンという方が話題になった。私もそうなのかな。

子供の時のことは大人になったら忘れてゆく
。人間の記憶力には限界があって古い記憶は新しいものに淘汰され、書き換えられてゆく。きっとそうなのだ。なんだろう、悲しいような、ほっとするような。

振り返ってみると私はいつの時代の私の事も好きだと思えない。でも真面目に生きてきたし幸せだと思っている。日記の中の自分がこんなにも気持ち悪いのは、真面目で幸せな裏の顔を見たような気になるからか。

今もなお私は劣等感は隠して「好きなように生きてるねん」って幸せそうに装っている。いや、実際幸せなんだと思う。だけど、人としては足りない。ずっと踠いてきたけど最近はもう開き直っている。人生折り返しなのにまだ大人になれていなくて、SNSを読むと大抵、私は軽く凹む。一部、疑問や共感とかもあるけどほぼ「みんなすげー」だ。こんなにみんなモヤモヤを短い言葉で言語化できて感心する。皮肉ではなく。

この日記を書いていた時はネットもなく、昨日聞いた話やさっき言われた言葉、なんなら古い過去のことも持ち出してきて、自分の中でグルグルと反芻し消化できずにそれをそのまま書いていたのだろう。

今は自分の思いを此処に残す事ができるけど、あの頃書き殴った言葉はあの部屋だけで生きている。あの時の気持ちはあの部屋から出ることはない。

嫌いな私。死んだ私。その私の部屋。
窓から差し込む西陽で本がヤケないように本棚はカーテンを纏い、私が帰ってくるのをずっと待っていたのだろうか。

数日経ってから自分の部屋を思い出してみる。あそこに誰かがいたという痕跡を他人事の様に思おうとしている自分。処分すればよかったのに先延ばしにした自分。

色んな気持ちが混沌として上手く整理できないが、ひとつだけ決めた事がある。あの日記達を処分する時は育児日記も一緒に処分する。過去の私を完全に抹殺して転生するのだ!(自分を揶揄しています)
…全て処分しても傷付けた傷付いた記憶は消えない。例え転生しても嘘笑いのババアにしかならないことも知っている。でも、それでも死後に息子達に読まれるとか絶対嫌だ。育児日記で感動させられないどころの話じゃない。

この文章もいつかの私は目を逸らしたくなるのかもな。まともな判断ができるうちに消去しよう。

ただ、どれだけ嫌悪しても、書く気持ち自体は何も変わっていない。それだけは変わらない。きっと死ぬまで変わらないのだろう。


余談…
これを書いている数日の間に本の整理をしていたら、ある本に似たような事が書いてある箇所を見つけてしまった。又吉直樹さんの「第2図書係補佐」(※)という本の中で

ネタ帳に書かれた言葉は漫才やコントとして人前で発表する機会が与えられるのだが、排泄物を垂れ流すように書きなぐった暗い方のノートは僕の溜飲を下げるためだけの惨めな存在だった。

見つけた時は「友よ!」とフワッとしたのだが、その暗い方のノートには
『人間の生活のリズムは喜怒哀楽など様々な感情の起伏によって出来ているが、僕の生活のリズムは溜息と舌打ちによってのみ出来ている』
などと書かれており、センスの違いに拍手したい気持ちと落ち込む気持ちでまた地面が不安定になり眩暈がした…又吉さんすげー!私とは全然違うやん…

(※)又吉直樹「第2図書係補佐」幻冬舎よしもと文庫