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星めぐりの歌をお守りに

#スキな3曲を熱く語る でこれより前に二度参加させてもらった。
他の方の投稿を少し拝見してみたが、私のは知らない人の方が多い音楽ばかりでわかりづらいと思った。普段は最新のJ-POPもロックもゲーム音楽も聴くので、最後に日本語の詩で好きな曲の中から、比較的わかりやすい曲を選んでみることにした。

題して「宮沢賢治に纏わる私の好きな3曲」

私は宮沢賢治さんが好きだ。わたしが「やさしさ」を考える時(多分これは一生のテーマなのだ)、「やさしさ」を問われる場面に出会した時、彼が私の事を見ている気がする。そんな錯覚から、私は私がやや捏造した宮沢賢治と共に生きてきた。

高校生の時に、演劇部で「銀河鉄道の夜」を自分達のオリジナル脚本にして上演した。部員が三人しかいなかったのでジョバンニとカムパネルラ、あと少女が一人出てくる話にした。演劇部がなかった高校で演劇部に入りたかった私とKという同級生が初めて知り合い、顧問と二人三脚で活動し、1年目は他校と合同で、2年目に一人後輩ができたので、その後輩が少女をやることになった。
当時のは粗筋を相談して組み立てた上で、即興劇を繰り返し、録音しておいたテープをおこし、それを繋げて多少手を加えて脚本にするという高度な事をやっていた。私の役はジョバンニだった。本当はカムパネルラに憧れていたが、私はジョバンニ。カムパネルラはKが演じた。Kは私より聡明で、毎日赤旗新聞を欠かさず読むような高校生だった。理性的でいつも冷静だった。今になってその配役は妥当だったのだと思う。私は今も昔もジョバンニなのだ。カムパネルラには成れていない。(↓当時の写真)

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その演目は京都の大会で演技賞を頂いて審査員の近畿大学の先生から「是非、近大に」と言われた社交辞令を真に受けそのまま近大を受験し、近大在学中に出会った京都の劇団に入団し、その後そこの劇団員と結婚して今に至るので、この上演がなければ今の私はいないと言ってもいい。

前置きが長くなった。宮沢賢治さんを好きな人はとても多い。沢山の作品があるので、好きな理由もそれぞれだろう。私の好きな理由は言葉で説明するより選んだ曲でわかってもらえたら嬉しいので私がグダグダ書くのは割愛する。

ちなみに私の好きな賢治さんの詩は「春と修羅」である。そして、好きな3曲はこちら。(歌詞は一部です)

「夜鷹」きのこ帝国

殺す事でしか生きられないぼくらは
生きている事を苦しんでいるが、しかし
生きる喜びという
不確かだがあたたかいものに
惑わされつづけ、今を生きてる
シリウス、ベガ、アルタイル、ティコの星
シリウス、ベガ、アルタイル、ティコの星
太陽から何億光年のこの場所で
細胞分裂をやめられないぼくらは
星巡りの唄をうたいながら泣いてる


私は「よだかの星」を想像するだけで胸が熱くなるのだが、私はよだかにはなれていない。私利私欲の塊。だけど、きのこ帝国の夜鷹はしっくりする。居場所がない。他人を攻撃する妄想で自分をも苦しめる。なのに人を欲して本当は生きたいのに死ぬ時の心構えをしておかなければと憂慮する。
なんだろう。すぐ刹那的に考えてしまう。きのこ帝国には「春と修羅」という私の好きな宮沢賢治作品と同名の曲があるけれど、この歌詞も私はしっくりくる。ほんまぜんぶめんどくせえ。家族起こしてしまうから午前三時にギターは弾かないけど。

「ワンルーム叙事詩」amazarashi

燃えろ 燃えろ 全部燃えろ
これまで積み上げたガラクタも そいつを大事にしてた僕も
奇跡にすがる浅ましさも
雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて
それでも 人生って奴には 負けるわけにはいかない
一人 立ち尽くす そこはまるで焼け野原


突然だが私は前世、焼かれて死んだのだと思う。大きな火を見ると頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。火を見ると危険でない時でも生と死の間を行き来する感覚に陥るのだ。
以前、USJで何も知らずバックドラフトというアトラクションに連れられて行ってしまい、足が竦んで動けず、挙句には座り込んでしまって立てなくなってしまい、過呼吸になりかけたことがあった。迷惑かけてすみません…
この曲を聴いた時、容易く炎が見えて、同時に自分のやってきた事が目の前で燃えてゆくという喪失感までもが襲って来て目眩がした。amazarashiの秋田さんはそれでも負けるわけにいかない、と歌っているのに私は完敗。もうずっと負けっぱなし。しがみつき、すがりつき、今に至る。でも、この歌の燃えている美しさはわかっている。と、烏滸がましく自負している。生と死の間に垣間見る美しさ。ためだ、目眩がしてきた。

「恋と病熱 」米津玄師

些細な嘘から炎症が起きた
ずっと微熱みたいに纏わりついて
愛していたいこと 愛されたいこと
棄てられないまま赦しを請う        
誰も嫌いたくないから ひたすら嫌いでいただけだ
皆のこと 自分のこと 君のこと 自分のこと

今や知らない人はいない米津玄師さん。私が初めて彼を知ったのはアニメの主題歌だったのだが、彼に惹かれたのはダ・ヴィンチ(雑誌。2017年12月号)で宮沢賢治さんの事について話していたからだ。彼はその記事の中でこう話している。

「恋と病熱」は宮沢賢治の詩とは全然違う内容の曲なんです。でも、このタイトルがパッと目に飛び込んできた時に、「これしかないな」って感じかすごくしてしまって。もちろん、自分がこのタイトルを借りることで本家を汚してしまうんじゃないか、って不安も強かった。変に引用することで「春と修羅」の世界を汚してしまうんではないだろうか、って。
〜中略〜
印象的な詩の一節ってお守りみたいな感覚で持っていられるんですよ。恋人同士がおそろいの指輪をして、それを見るたびに愛しい相手の顔や人生を一瞬で思い出すみたいに。

全部載せたいのを堪えている。これを読んだ時、烏滸がましくも私は米津玄師さんをとても近く感じた。
引用する事で汚してしまうかもしれないと感じる葛藤。高校演劇で「銀河鉄道の夜」をオリジナル作品にした時も、これを書いている今も葛藤の最中にいる。
そしてお守りのような一節。彼の選んだ一節と私の好きな一節は違う箇所だったが、その感覚は私達だけでなく沢山の人が色んなお守りのような言葉に支えられて生きている事だろう。それを意識して言語化した彼の詞はやはり私のお守りにもなっている。

こうして書いていると、米津玄師さんがここまで認知されるようになったのは必然だったのだな、と感じる。


最後に高校演劇の「銀河鉄道の夜」のオリジナル脚本のセリフでも使わせていただいた、イマヌエル・カントの言葉をここに残します。

ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、天上の星の輝きと我が心の内なる道徳律!

忘れかけていたが、高校生だった私のお守りの言葉。
当時はちょっと背伸びしていた感があるけど、「我が心の道徳律」は冒頭で書いた『わたしがやさしさを問われる場面に出会した時、宮沢賢治さんが私の事を見ている気がする』に通ずるところだと思っている。

生き苦しい昨今だけど、お守りの言葉や音楽をポケットに入れて出かけよう。
涼しくなってきたら出不精な私も散歩します!(雨ニモマケズ風ニモマケズ…)