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約1年半、問い続けてこれた

数か月くらい前から、1日に10人くらいの人がnoteをフォローしてくれるようになった。毎日書き始めて1年間はそこまでフォロワーも伸びず、確か500人程度だったように思う。しかし1年をすぎたあたりから、ぽつりぽつりと毎日少しずつフォロワーが増えていった。

どこから見つけてくれるんだろう?と最初は不思議に思っていたけれど、フォローしてくれた人がたまに残してくれるコメントで、なんとなくこの記事なんだろうな、という予想はついている。

HSS型HSPについて書いたこの記事だ。

シークレットモードで検索しても検索上位に来ているこの記事から、同じ悩みをもった人が気軽にフォローしてくれるようになったみたいだ。

ほかにも、昔の記事にも関わらず一定の人が見に来てくれているnoteもあって、note内だけでなく、SEOの検索にも引っかかってくれるのかとnoteのすごさを改めて感じた。

フォロワーが増えてきたのと同じくらいのタイミングで、「毎日書くこと」に疑問を持つようにもなった。メンタルを崩したこともあり、あまり無理しすぎるのはよくないのではと思い始めたからだ。

私にとって毎日書くことは、そんなに簡単なことじゃない。物事を整理するには時間がかかるし、もっと深く考えて書きたいことでも、1度それを考え始めてしまったら最後、ほかに書くことが見つからなくなってしまったりする。それに、毎日noteを書いても特別話題になったり、劇的に読まれているわけではない。本当に地味に、毎日更新しているだけだ。当初考えていた「文章がうまくなりたいから」といった目標も、読者が増えなければ達成していないような気がした。

そんな時にフォロワーが少しずづ増えてくれ、コメントを残してくれる人ができ、「もしかしたら私は、同じ悩みを抱える人が求めるヒントを、発信し続けられるかもしれない」と考えるようになった。そして”私みたいな人"が読者だったら、ちょっとやそっとではシェアしたり、コメントしたりしないよなぁと、読んでくれる人の属性を考えられるようになった。

「うまくなりたい」が、「注目されないからうまくない」にかわりくすぶっていたところで、noteというプラットフォームのおかげで届くべき人に届き、今はその人たちに、「こんな風に悩んだとき、私の場合はこうしたよ」と伝える形で書けるようになった。そう考えると私の"毎日更新"はなんだか必要な気もしてきて、目に見える読者が少なくても、特に注目されるような文章じゃなくても、いつか誰かの支えになれたらいいな、なんて思って書けるようになっていった。

毎日書くことは、かなりいろいろなことを考えさせられること。誰との約束もない、自主的にやっていることだからこそ「本当にこのまま続けて意味あるんだっけ?」といつも自分に問いかけるし、「毎日書くほど文章が好きなのか?」と向き合えるし、「好きじゃない時もある。けれどやっぱり続けたい」と改めて確認することもできる。

「続けること」を大事にしてくれて、記事が掘り出されるよう工夫してくれるnoteだからこそ、「書くこと」についてここまで問い続けてこれたのかなと思う。

毎日書き続けて1年3か月、"営業日のみ"に切り替えて約3か月。ここまで続けてきたおかげで、「私が書く意味」に少しずつ近づいてこれているように思う。


去年の毎日note


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