見出し画像

声に出して読んでみた、静けさ漂うこの文章

どうしてもわからないので書いてみた。同じ語尾が続いて単調になってしまうはずなのに、世界観さえ仕上がっているこの文章。一体何が違うのだろうか。

画像1

ここに書いてあるエッセイは、同じような理由で以前も取り上げた。「た」で終わる文章が連続で続くのに、とても心地よく読めてしまうのだ。

今回は書いてみて、そして声に出して読み上げてみた。静けさが漂う文章。読んでいると、「~た」にも、異なる種類がおかれていることが分かった。

“~ていた”
“~ていた”
“~あった”
“~思えた”
“~感じた”
“~気がした”
“~心持ちだった”
“~てきた”
“~向かった”
“~降りた”
“~眠った”

気になったのは心情を表す描写のところ。「思った」ですべてかけてしまうところを、感じた、気がした、心持ちだったとすべて違う表現をしている。「た」でずっと終わってはいるけれど、その前の表現がバリエーション豊かだと、単調さもなくなるのかもしれない。

また、情景描写と心理描写が交互にきて、まるで著者と同じものを見ているような気もしてきた。著者が見た景色、思ったこと、そしてまた、景色の描写に戻っていく。静かで、少し寂しげな世界観は、ここから生まれたのかもしれない。

さまざまな書き方の文章に出合うことは、自分を知ることにも繋がるなと思う。どんな文章が好きで、何が嫌いなのか。“嫌でたまらない文章”なんてものも、この先現れるかもしれない。

また、好きな文章を“好き”で終わりにせず、近いものを探したり、誰かと話したりすることもすごく楽しい行為。好きな文章を集めたら、テンポの良さやリズミカルさをよく取り上げることがわかり、それについて“好き”を深めていく。するとあらゆる文章から、その深めた“好き”が見えてくるようになった。

「おもしろかった」で終わらない、好きな文章の研究を、もっともっと深めていきたい。

気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~金までのうち、私は月・木を担当しています。

去年の毎日note


最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。