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私たちはひとつになれない

「翻訳できない世界の言葉」という本を借りた。

言葉はその国の文化やものの見方を表している。例えば虹の色。日本では7個の言葉で表すが、アメリカは6個、ドイツは5個などバラバラだ。

「翻訳できない言葉」はその国独特のものの見方を表していて、たぶんそれを深いところで理解するのは一生無理なんだろうなと思う。言葉が一緒の日本人同士ですら、100%わかり合うことは不可能に近いのだから、言語が違えばなおさらだ。

今日はバングラデシュ人の同僚とランチに行った。

彼は来週から2か月夏休みをとり母国に帰る。夏休みといっても週3はリモートで働くらしいが、エンジニアの彼と直接かかわる機会は少ないので、長く会わなくなる前にとランチに誘った。

ムスリムの彼は食べられる食事が限られてる。和食か、カレーか、ベジタリアン料理の選択肢から、今回はインドカレー屋に行った。3種類のカレーとサラダ、サフランライスとナン、インドのおせんべいがビュッフェ形式で食べ放題の、おいしいと言っていたお店だ。

カレーを取って席に着くと、同僚は小さい銀の器にカレーを2種類、3口程度のサフランライスを持って戻ってきた。「ダイエットでもしてるんですか?」と聞こうとしたらすぐに戻って、別のお皿にいっぱいのサラダと、顔よりも大きいナンを2枚もってきたので、私は何も言わずに食べ始めた。

バングラでは28歳までに結婚しないと大問題らしい。27歳の彼は、帰国したらいろんな女性に会う予定だという。友達の紹介、友達の友達の紹介、親戚の紹介などさまざま。今もいいな、と思う人がいるみたいだけれど、「日本に興味をもって一緒に来てくれる人じゃないと難しい」と判断に困っていた。

日本にいたら食べられるものも限られてしまうし、家族にも会えない。日本の文化ではまだ結婚なんて急いで考えなくてもいいのに、自国の文化に合わせないと結婚相手が見つからなくなる。しかし今後も日本に住むことを考慮すると……なんだか迷宮入りしてしまいそうだなぁとチキンカレーを頬張りながら思った。

お会計の時、「日本人はお会計を別々で払うけれど、今日は私が払います」と言って一緒に払ってくれた。“日本人は~”と言われると遠慮してもいいものかわからなくなり、お礼を言って素直に出してもらった。けれどこの言葉はどういうことなんだろうと疑問が残った。

バングラでは、別々に会計をする文化が無いという。一緒に食べた誰か1人がおごる。必ず誰かが、「今日は僕が出すよ」と言うらしい。

「新しい服を買った時や、楽しいことがあったときは『今日出すよ』って言います。入社してすぐみんなでランチに行ったとき、お金を出そうとしたらすごく拒否されて。日本人は別々に払うのが好きですよね」と彼は言う。

お金を払いたくない人は、ずっと払わなくなっちゃいそうじゃないですか? と聞くと、えー? と笑う彼。そもそもそんなことは全く考えに至らないのかもしれない。友達同士なら平等に払ったほうがいいな、なんていうのは日本の価値観なのかなぁ。

「ランチを払おうとしたときにみんなが拒否したのは、大事なお金を自分のために使ってもらうのが申し訳ないと思ったからですよ」とフォローしたけれど、さっき私が抱いた感情と似たようなものを、彼も抱えているような気がした。

その国の文化を理解することは、言われたことをそのまま受け取れば、頭ではなんとなくわかった気になれる。けれどそれに慣れていったり、考え“そのもの”になることは、多分この先一生かけても難しいだろう。

けれどなれないからこそ、どんなことを考えているのか話を聞きたくなるし、理解できないモヤッとしたことも「よくわからないけど、そういうことなんだ」と、まるっとそのまま受け止めることだってできるのだろうなと思う。

"ひとつになれない"ことを知っていれば、私たちは認め合えるのかもしれないなぁ。

#毎日note


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