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頼れることは幸せなこと

昨日の帰り道はずっと、もう書きたくないと思っていた。うまくまとめられず時間ばかりがすぎていく。私にはレベルが高すぎるんだとか、編集さんとイメージ違ったらどうしようとか、不安と不満が襲ってきた。そんなこと考えずにとにかく書けばいいのだけれど、それができずに止まってしまう。するとよくない考えが浮かぶ。綺麗な悪循環だ。

閉店とぴったりの時間にスタバを追い出され、友達に電話をかけてみる。出ない。駅に着き、ガラガラの山手線に乗る。向かいには口を開けて上を向き、ピクリとも動かず眠っている人がいる。

家に帰っても今日は書けないから、行きつけのバーで1杯飲んでちょっと泣き言を言って帰ろう。目に涙をためてそう決意した。

けれど、到着してバーテンダーの人たちとくだらない話を始めたら、泣き言を言うタイミングは無くなり、0時過ぎたのに大好きなペペロンチーノを頼んで、1杯予定のお酒も2杯飲んでヘロヘロになり、家に帰ってもずっとニヤニヤしながら眠りについた。冷静に考えても楽園かな? と思う。

朝が驚異的に弱いので、いつもカーテンは開けて寝てる。今日も例外なく太陽の光で起き、昨日電話した友達にもう1度かけてみた。出ない。けれど昨日ほどの思い詰めた気持ちはすっかりどこかにいなくなっている。そして不思議なことに、朝起きてシャワーを浴びたら、「もう嫌だ」と思ってた執筆になんの嫌悪感もなく取り組み始めたのだった。

書けない文章を書こうと思ったことも、もう嫌だと投げ出してバーに行ったことも、次の日また書こうと思ったことも、すべて自分が決めている。その点では「自律」しているなぁと思う。けれど、「自立」はきっと、今後何があっても無理だし、したくもないなと思った。

一人で住むのはやっぱり寂しいから、何人かと一緒に住みたいし、できることなら誰かと一緒に眠りたい。辛くなった時は一人で抱えずに、一緒に笑ったり、楽しんだりしてくれる人のそばにいたい。それは恋愛関係で、というわけではなくて、どんな状況でも一人で生きるのは寂しいから、男女関係なく好きな人と一緒にいたいなぁと思うのだ。

頼れる場所があることは、すごく生きやすくなるなぁと思った8月31日の夜。知らないうちに9月が来ていました。

#毎日note

#自立と自律

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