大事なのはどっち?「明日どんな便をするために、何を食べるか」
学ばない女である。
食材を買っても期限通りに使いきれなくて、しぶしぶ捨てざるを得ない経験を何度したことだろうか。
夏の暑い日、袋にしまって放置していたニンジンが溶けて、液体になってしまったこと。毎日ちょっとずつ食べようとデコポンを切って冷やしておいたのに、一向に食べないでいたらカビが生えてしまったこと。
最近は、玉ねぎを切って水に漬け、冷蔵庫に入れておいたら時が過ぎ、いざ食べようとタッパーをあけると得体のしれない白い物体が、クラゲのように浮いていた。毎日自炊をしているにもかかわらず、このありさまだ。
エコな生活を目指しているのに食材に関しては全然エコに到達できない。けれどもったいないという気持ちはしっかり持っていて、ちょっとぐらい怪しくても食べてしまうこともある。ほかの人より貧弱な胃の持ち主なのに、なぜだか食べる瞬間は楽観的だ。
そして結局おなかを壊して、あああ何で食べたのだろうかと数時間前の私を憎む。"もったいない"もわからなくないけど、一体だいじなのはどっちなのか。
「明日どんな便をするために、何を食べるか」
僧侶の方が、こんな話をした。食べ物の話を通して、何をインプットするかは、どんなアウトプットをしたいかによるものだ、と言う話を先日したのだと言う。
確かに私たちは、今どうしたいのか、どんなことを得たいのかにフォーカスを当てて考えがちだ。いま、食べ物を粗末にしたくないという思いだけが働いて、ちょっと気になっても食べてしまう。その後のアウトプットは自分の望んでいないことだったりする。
情報のインプットも、どんな結果を出したいか、どんなことをしたいかによって、内容を選ぶほうがヘルシーなのかもしれない。何か役に立ちそうだからと言う理由だけでたくさん勉強しても、それをどう活用するのかわからなければ、頭の中の奥底にしまわれて取り出されなくなり、内臓脂肪のように脳内にこびりついてしまうのだろう。
どんなアウトプットが先か。そこから逆算して決めたインプットは、最短距離で吸され、消化の一途をたどっていく。
もちろん、今を楽しむためのジャンキーフードやスイーツもおいしいし大好きだ。だからスイーツを食べる"喜び"と、健康のための"インプット"は分けたほうがいいのかもしれないな。
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