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矛盾の中にあるアイデンティティ

人は矛盾だらけ。

何十年も連れ添っている友達で、「絶対に赤信号を渡らない」と決めている人がいる。そのルールは中学校の時から続いているそうだ。車1台通っていない時も、10mもない小道になんとなく置かれている信号でも、赤になれば絶対待つ。

ちょっとしたイタズラ心で、私は赤信号を渡って速足で進んだ時も、青に変わるまではじっと止まり、変わった瞬間に走って追いついてきたこともあった。

どうして車の全く通らないところでも信号を守るの? と聞くと、「子どもたちは大人を見て育つから、ちゃんと守らなきゃ」と言っていた。子どもがいるわけでもないのに、一体どういうことだろうと、正直未だに不思議だったりする。


そんな友達が、先日カバンを無くした。大量にお酒を飲んで記憶が無かったらしいが、カバンの中には財布のみならず、会社用の携帯、パソコン、IDカードなど一式まるっと入っていたそうだ。困ったことに、パソコンは無断持ち出し。最終的には見つかったけれど、探している間は解雇も考えた。

ふと、赤信号は守るのに、会社の規則は守らなかったんだなぁと思った。どちらも社会(または会社)が決めたルールで、守るべきものだ。手を抜くにしても誰も見ていないところで、とか、お酒を飲まない日を狙って、とか、問題を起こさずにちょっと不正をすることは簡単のはず。

けれど効率とか、“うまくやる”みたいなことは考えずに、「自分はこのルールを守り通す」と決めてしまうのもいいな、と思った。「子どもたちは~」なんていう理由は後付けで、とにかく赤信号を守らないとモヤモヤしてしまうのだろう。全部のルールを守りたいわけじゃない、これだけでいいのだ。


理屈じゃない大切にしたいことや、これだけは譲れないことってきっと人それぞれ持っていて、突き詰めていくと矛盾が出て来たり、どうしてこだわっているのかがわからなかったりするものもあるのかもしれない。けれどそういった部分がその人を作っていて、アイデンティティの1つを形成していくのかもしれないなぁ。

自分にとっての“赤信号”ってなんだろうな。言語化したい。

#毎日note



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