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ルーティーンの作り方

勝手に習慣化できるものと、なかなか板についてくれないものがある。

出勤したらインスタントコーヒーを入れて、2時間くらいかけて飲み干すのが日々の儀式になっている。低血圧で回らない頭にカフェインを注入し、すっきり目覚めさせることを目的に始めたら、「朝のコーヒー」が無いと集中できない身体にいつの間にか変わっていた。

この儀式はもう、新卒時代から続いている。以前は朝一番にブラックの缶コーヒーを買って、1日かけて飲んでいた。しかし午後になるとその味のせいで頭が痛くなってしまい、いつも最後まで飲めなかったものだ。そんな経験もあって、今は午後になると紅茶に切り替えている。朝はコーヒー、午後は紅茶が今の私のルーティーンだ。


「そうしたほうがいいかもしれない」と思いついて、なんとなく毎日繰り返すようになって、今ではそれが気合を入れるための大事な要素になっている。「続けるぞ」と意気込んだわけでもなく、自然に習慣化してしまったのだ。


方や、日記や毎日noteなど、「続けるぞ」と思って始めたものは、途中でやめてしまったり、続けることが辛くなってしまったりする。"これをしないと落ち着かない"フェーズになかなか突入できないのである。一体どうしてなのだろうか。

それは、「続けること」が毎日の癒しになってないのかもしれない。書くことは楽しい。しかしそれだけじゃないプレッシャーや、楽しいと思えない何か、そこにストレスを感じてしまうと、途端に「やらなくてもいいこと」へと変わる。毎日のルーティーンは、それがないと落ち着かなくて、その行動が癒しにつながっていることが、大きな要素になりそうだ。朝顔を洗ったり、歯を磨いたりするのも、それがないと落ち着かなくて、行為によって気分がスッキリするからこそ、続いていることだろう。

ルーティーンが増えることと比例して、癒しの時間も増えていったら。そんなに幸せなことはないんじゃないか。

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