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絶望したときのセーフティネット

今日(正確には昨日)で毎日noteを始めて1年経った。1年経っての振り返りをしたかったのだけど、飲んで帰ってきたらこんな時間。だから振り返りは後日にしようと思う。

昨日の夜は何かの糸が切れたように、一緒に住む子の前でポロポロ泣き出し、そのあと友達と電話をしながら大号泣した。夜中の2時半、人生つらい、こわい、とか泣き言を言っては「大丈夫、大丈夫」と諭されながら3時近くなってようやく眠りについた。何が原因なのかコレといったものは見つからないのだけど、これまで蓄積されてた1つ1つが満タンになり、どばっとあふれ出したような感じだ。

朝起きると目が腫れていて、遠出する元気もなかったのでリモートワークがしたいと上長へ伝えた。けれど「メンタル弱ってるくらいではリモートは許可できない。病院に行くほどなのか」と言われ、精神的なストレスを理解できない人もまだいるんだと衝撃を受けた。弱さを出す、アラームをあげることを良しとする人たちが周りに多かったから気づかなかったけれど、もしかしたらそれはかなりのマイノリティなのかもしれない。

絶望したが、やっぱり会社へ行く気が起きなくて、結局午後は休みにした。時間が空いたからとフリーの仕事をやっていたらだんだん気持ちが収まってきた。きっと私は、仕事に依存しているのだろう。仕事で悩みもするし落ち着きもする、もちろん喜ぶことも多い。「依頼を受けている」ことで頼ってもらえている感じがするので、そこに存在意義があるような気がしてしまうのかもしれない。

打合せも済ませ、ほっとしたところで約束の時間が来た。今日は初めて2人で飲む人と、その人の知り合いの居酒屋へ行く約束をしていた。じっくり話すのは初めて。近所の居酒屋なので気持ちはだいぶ楽だ。お酒好きのその人は、ビールを1杯、日本酒を3合、ウーロン杯を3杯くらい飲んでベロベロになった。「酔うのが好き」と言っていたので多分今、すごく幸せなのだろう。そのあと居酒屋の店員さんも合流し、別のバーで飲みなおした。バーテンダーや新しい人たちと話しているうちに、ようやく昨日からの話がちっぽけで、どうでもよくなってきたのだった。

自分が悩んでいる範囲は、本当にせまいコミュニティの中で行われている。そこで否定されたところでほかに受け止めてくれる場所はあるし、新しいコミュニティを作ることだってできる。その日その時自分が落ち着くコミュニティに軸を移すことは、生きていくうえで大事なのかもしれない。くだらない話をしながら深酒をして、フラフラになって帰る日も、いつもまじめに悩む日々とうまくバランスをとるためには、必要な時間なのだろうなと思う。

そんな3月の始まり。今月はもっと、息抜きをうまく取り入れていきたい。



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