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石巻と女川の今--10/20の日記

2泊3日で石巻、女川へ取材に行ってきた。取材は震災にフォーカスしたものでもないのだけれど、周りの人と話をしていると、どうしても震災がキーワードになる。

私個人で言うと、2011年3月11日は東北、東京というより日本にすらいなかった。どんなに大きく揺れたのか、どれほどの大惨事だったのかは体験もしていない。震災から1週間ほど経って戻ってきた東京は、少しの液状化と計画停電くらいだ。

2011年の夏には2回ほど被災地に赴いて、瓦礫拾いのボランティアをした。けれど、ある程度綺麗にされた後だったので、生活感がリアルに残るものや、人体などは拾い当てなかった。直後に来ていた方々のおかげで悲惨な面は見ずに済んだのだ。

「女川はすべてが流されてしまって、石巻はところどころ残ってしまった。古い建物と、新しい建物が混在するこの街を、どうしていくかが課題です」と、石巻で働く女性から聞いた。確かに、時折表れる新しい建物やまっさらな土地のほかに、古びた商店も街中には目立つ。一方女川は、更地のような場所に不自然なほどきれいな建物が大きく立っていて、周りとなじんでいないような気がして切なくもなった。

「当時はそこらじゅうに死体が転がってたのよ。想像できる?」なんて、焼きそば屋の人から言われたけれど、たぶん私が想像しているものよりももっと過酷で、ショックの大きい出来事なのだろう。

通りを歩いていると、男の子が後ろから私を追い越した。たぶん5歳くらいだろうか。この子はきっと、震災を知らない。関東大震災が私にとって教科書の出来事だったように、この子も東日本大震災はそうなるんだろう。今あるこの景色が普通で、その前は"昔の街の様子”としてふうん、なんて見るのだろう。たぶん、それはそれでいいのだ。

震災前を知っている人からすると、まだまだ昔の賑わいは取り戻せていないという。確かに、検索して調べた石巻の様子や女川町の街並みは、今と全然違っていた。電車の中から見るさっぱりとした景色や、簡易的な家が何件も並べられている様子をみて、なんだか胸が苦しくなった。

震災前の様子や、直後の景色は全く知らない2つの街。たぶん震災がなければ名前を知ることもなく、またこのタイミングでなければ来ることもなかったのだろう。そんなふうに考えると、こうやって訪れたことは、多分何か意味があるような気がしてくる。「今知れた」ことを、もっと大切にしていきたいなと思った。

今からでもこの2つの街に寄り添える方法はあるのだと思う。小さくても、どんなかたちでもいいから、自分ができることでずっとずっと応援していきたい。思い出すだけでつらくなってしまうような話を聞かせてくれたり、復興に向けて頑張っている人と話せたことでそんなふうに思った。まずは記事から。がんばるぞ。

そういえば、夏にこんな本も読んだのでした。今年は震災を考える機会に恵まれたな。


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