人を動かすためのメリット提示
同居人と話していると、特に仕事において「相手のメリットは何か」をよく考えていることに気づく。何かを依頼するとき、「こうするべきだ」と思う時、それは相手にとってどんなメリットがあるかを考え、依頼の方法や伝え方を考えている。
たとえば今日は、ニュースが報道する情報の偏りについて話題になった。「コロナウィルス施策に対してうまくいかなかったことばかりが報道されがちだけれど、うまくいったことも報道してほしい」といった内容に対して、正解のない議論をもやもや繰り返した。
うまくいかなかった報道のほうが、視聴率やPVが取れるとしたら、うまくいったことを伝えたときの報道側のメリットって一体何なのだろう。多くの人が見たくなる内容を発信するのは、"読まれる・見られる"ことで収益を得ている限りニーズのあるほうへと報道は流れてしまいそうだ。
もちろんそれが正しいとも、間違っているともわからない。単純に、「こうするべきだ」と思った内容が多くの人にとって正しかったとしても、"する"側にメリットが無ければ刺さらない話なのだろうな、といった感想をもった。
また、仮に両方の事実を述べたとしても、その事実にどんな感情を持つかは受け取り手次第。まさに昨日のnoteのような話だ。
そんな風に、誰かに「こうしてほしい」と思ったことに対して相手のメリットを考えてみると、思うように動いてくれない人の気持ちがちょっとわかってくる。自分のメリットにならないことを率先して引き受ける人ってよほどそれに熱い思いが無い限り現れない。自分のメリットのためだけに、相手が動いてくれることは奇跡に近いことかもしれない。
相手へのメリットを提示できない限り、報道に対する質の改善を叫んでも響きづらい。だからこそ、世に出ている情報には何者かによるフィルターがかけられていること、それを鵜呑みにせず、多角的に情報を集めることが情報に翻弄されずに生きる上で大事になってくるのだろう。
友達関係の中でメリットデメリットを考えると、なんだか寂しい気持ちになるけれど、仕事においては一番わかりやすい指標なのかもしれないな。
去年の毎日note
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