相手のことを考えすぎて怒れない

同僚がふてくされた顔してオフィスに戻ってきた。聞いてみると、取材先の人の対応がとんでもなくひどかったという。

「インタビュー中はずっとスマホいじってるし、『こだわっている部分はありますか』と聞くと、『特にありません』と言われるし。記事を書く気が起きない」と、少し疲れた様子だった。

それはひどい……と思うと同時に、どうしてこの同僚はひどい目によく遭うのだろうと疑問がうかんだ。取材や飲みに行った店先で、ひどい扱いをうけたとよく怒っているのを聞くからだ。私はというと、取材先、店先で怒ったことがあまりない。2,3か月遡ってようやく心当たりが見つかるくらい。一体この差は何なのだろう。

今日、何の気なしに自分の年齢を口に出したところ、「早く結婚しろよ」と言われた。「まだしません」と言ってサラリと会話が終わったけれど、なんとも言えない気持ちがずっと残っている。世間一般のイメージとずれて生活しているから、こんなめんどくさいことを言われてしまうのだろうな、と思うと自分がいけないような気がするし、相手もちょっとふざけて言っただけだから、そこで怒るのも違うよなぁと、この気持ちを消化する方法が見つからない。

色々言われるのがめんどくさいなら、とりあえず結婚しといたほうがいいのだろうか。そんなナメた考えさえも思い浮かんでしまう。裏を返せば、それほどまでに「結婚」に執着できないでいるのに、なぜだか周りからとやかく言われてしまうのだ。

どうしたものかと悩んだときに、ふと冒頭の同僚を思い浮かべた。もし彼がこの出来事の当事者だったら、きっと怒っていただろう。「彼がおこりっぽい」のではなく、私が「怒り」の感情に鈍感なのかもしれない。

「怒り」と判断できなかった感情は、いろんな人の気持ちを汲みすぎてもやもやと心の中に残り、吐きどころを見つけられず溜まっていくばかりだ。どの感情に分類するか、それがきちんとなされないと思いは溜まり、いずれあふれ出てしまうだろう。

もやっとした感情については、あえて相手のことを考えず、「自分がどう思うか」でラベリングしたほうがいい。相手は私の気持ちを考えず、何の気なく言ってきているのだから、私も相手を考えすぎず、パッと怒って忘れてしまったほうがいいのだろうな。


去年の毎日note


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