わかりやすさよりも相手のことを

素敵だな、と思うフレーズが変わってきたなぁと思う。それと同じように、こうありたいな、と思う姿もだんだん変化してきた。

毎日noteのメンバーで、夏の課題図書を読んでいる。締め切りもなく、発表形式もバラバラなので、「課題図書」と言うよりはそれぞれがオススメしたい本を選んで読んでいるイメージ。その中の本「パリでメシを食う。」を通勤時間に読んでいて、いいなぁと思う言葉に出会った(全体の感想文はまた別のタイミングで書こうと思う)。

“パリで漫画喫茶を開きたい、そこでフリーペーパーや雑誌を作りたい“という男の人が、それをやらせてくれる奥さんに対して「頭が上がらない」と話している内容だ。

「子どもができたのに、まだ自由にパリで雑誌作ったりさせてもらえるんだから。失敗してもいいからやりたいことをやれって言ってくれる。そうやってカッコつけさせてくれるんだから。ほんとに彼女はすごい。これは、もう、いやでも成功しないとなあって思ってる」

誰かに安心感を与えられる人は、それだけでもうかなりの能力だなぁと思うようになった。誰かのチャレンジは、応援してくれる人や失敗しても受け入れてくれる人がいるから成り立つ。彼の挑戦は、奥さんがいたからこそできたことなんだと思うと、私も誰かにとって、奥さんのような人間でありたいなぁと思うようになった。


これまでは、「支える役」は対して意味のないことのように思っていた。私がなりたい姿は第一線で目に見えて活躍する人だった。表舞台というか、だれからもわかりやすく「活躍している」ことがわかる人を目指していた。

けれど最近は、支える役であったり、誰かの帰る居場所になることも、すごく魅力的だなぁと感じ始めた。傍から見ると活躍しているようには見えないけれど、その人のエネルギー源になると考えるとかなり重大な役割だ。自分が行うことで相手が輝けるなら、そんな幸せなことはないなぁと思うようになっている。

どうしてそうなったかは、正直よくわかっていない。けれどこれまでと確実に違っていることは事実だ。どうして過去の私は、わかりやすく万人に認められることばかりを考えていたのだろう。

「自分が大事にしたいこと、もうちょっとよく考えてみなさいよ」なんて笑いながら肩を叩いてあげたいものだ。

#毎日note


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