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編集とライティングと、働くこと

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未経験から編集者を目指していた2017年以前の私に向けて、編集者の仕事、参考になるnote、編集者となった自分はどんなことを考えて日々働いているかをまとめています。
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#書くこと

書く場所はひとつじゃなくていい。楽しく書くためのヒント

今週、こんな話を書いた。 私の毎日noteには、「書くことが無い」と苦戦する時期と、書きたいことがスムーズに出てくる時期が交互にやってくる。ただ、「書くことが無い」という意見をもう少し深堀りしてみると、「noteに書くべき(だと思っている)ことが無い」につながるんじゃないかなと思った。 たとえば、日記。本当にネタが無かった時の最終手段で書いている。どうして日記が最終手段なのかを考えると、日記には伝えたいことがないからだと思った。伝えたい核のようなメッセージや考えついたテー

書き続けたら見えてきた

ほんの数年前は、誰かのエッセイを読んでも面白いと思うことが少なかった。 ふうん、とか、そう、とか、理解したんだかしてないんだかわからないような感想しか出てこなくて、小説ばかりを好んで読んでいた。誰かのいつもの日常を聞いても、なんだかしっくりこなかったのだ。 いま、村上春樹と星野源のエッセイを、同時並行でちょっとづつ読んでいる。 村上春樹のエッセイは、小説の時とは全然違う世界を描いているはずなのに、どこか著者らしさがしっかりと含まれていて面白い。坂道を転がるように止まらず

noteのネタが思い浮かばない!というときにやっていること

毎日note(途中から平日note)も3年目。毎日書いていると、ネタがどんどん思い浮かぶ時期と、まったく何も出てこない時期が交互にやってくる。何も出てこないときはよく寝不足になる。そして、なんとか絞り出して書いたものの、これでいいのだろうかと考え込む日が続く。 けれど一応、どんな日も、絞り出せてはいるんだよ。もしかしたらこれは、ほめてもいい案件なのかもしれない。 そして「書けない時に絞り出す方法」は、3年かけて培った私のスキルにもできるんじゃないか。シャワーの途中でそんな

どうして書いているのだろうか

誰に何を伝えたくて、このnoteを書いているのか。 誰に何を伝えたくて、“伝える仕事”をしているのか。 ブレずに、堂々と、自分の「伝えたいこと」のために動いている人は、多いのだろうか、少ないのだろうか。きっと多いに違いない。 作ることや、書くことばかりに気持ちを向けてしまうと、何のために作っているのかがわからなくなってしまう時がある。誰かに言葉が届くときは、書き手の込めたメッセージを、読み手が受け取った時なのだから。 何のために書いているのか。どうして伝える仕事をして

書く時に大事な「あるものさがし」

「ストーリーのように構成立てができないんです」 そんな質問へのアンサーで届いたとある本。「その悩みにぴったり当てはまるものじゃないけど、読んでみると面白いよ」と教えてもらい、さっそく購入してページをめくった。 タイトルの『脚本教室』という言葉から、「ストーリーの書き方術みたいな本なのかな」と予測を立てて読み始めたものの、「はじめに」からすでに想定を超え、読み進めるのが少し怖くなっている。 そこに書かれていたことは、よき脚本を書くために必要な、「自分自身と向き合うこと」だ

絶え間ない無力を感じ続ける毎日note

振り返ることもなく時が過ぎてしまったけれど、今月の1日で毎日noteを始めて2年が経った。土日に書かなくなったとはいえ、まさかこんなに続くとは思ってもみなかったし、なんだか辞め時もなくなってしまった。 もともと私の性格がネガティブなことを分かったうえで聞いてほしいことだが、毎日書き続けている理由は、書くことが好きだからというわけではない。むしろ、書けば書くほどいつも課題が見つかって、うまく書けないと悩んで、本当に自分の欠点を探す天才だな、と思う。 最近もまた、解決方法を模

語りかける「画竜点睛」

はじめて原稿を納品する日、初めてWebメディアで記事を公開する日に、ドクドクと心臓が波打つような感覚になったのを思い出した。 変なところはないか、ケアレスミスは起きていないか、そして、本当にこれを完成形と見ていいのだろうか。何度も記事をチェックする。その儀式を終えたあとにようやく、「えい!」と半ば勢いでクリックをしていた。 「画竜点睛(がりょうてんせい)」 この言葉には、「物事の最重要部分」という意味のほかに、「何かを完成させるための最後の仕上げ」もある。それは、最後ま

書くって結構つらいこと

取材が楽しければ楽しいほど、書くのがつらくなる。 こんなに魅力的なんだから、確実に伝えたいと意気込むと、言葉を作る手が止まってしまう。良かった取材は私が書かないほうが良いんじゃないかとさえ思ってくる。 * 先日、スポーツ観戦をチアリーダーの観点から切り取る取材をした。チアが大好きの友人に、パフォーマンスの意味や背景、チアの見方をレクチャーしてもらいながら、試合そっちのけでチアをひたすら追いかける試合だった。 今まで視野が届いていなかった“チアリーダー“という存在にスポ

毎日書くことにどんな意味があるの?

「毎日noteを書くこと」について、いろんな意見を各方面から聞くことが多い。自分が書いているから、つい気になって聞き耳をたててしまっているのかもしれない。 とあるイベントのtwitter実況をチェックしていた時も毎日noteの言及を見つけ、改めて「どうして毎日書いているのか」をぐるぐる考えた。 最初は「スキルアップのため」と毎日noteを始めたのだけれど、まさにtwitterで言われているような、「手段が目的化」する状況になっていたなあとこれまでを振り返る。 スキルアッ

人生で一番「書いた」1年を振り返る

2018年は人生で一番「書いた」年だった。2017年に編集者へ転職し、「もっとスキルアップしなきゃダメだ……」と正体不明の義務に駆られ、1年間ひたすら書いてきた。 ※書くことを学び合うコミュニティ「sentence」のアドベントカレンダーに参加したので、ちょっと早めの「2018年の書いた」を振り返ってみる。 * 2017年12月31日の夜に、こんな目標を立てた。 ①副業で6月までに10本記事を書く。 ②年30冊、本を読む。 ③年12本、映画を見る。 振り返ると、ひと

7月の月報ー楽しく続ける

毎日noteの更新も明日で4か月目を終える。 成長したのかなぁと考えるとそれはよくわからない。けれど3か月目に入った6月に比べて、書くことが楽しくなってきた。 7月の感想6月から7月の頭までは、何も書くことが思い浮かばなかった。何を書いてもうすっぺらく思えてしまうし、自分が出せることはもう何もないと思った。それでも更新は止めたくない。だって何年も何年も、毎日書いている方々だっているのに、たった3か月ちょっとで弱音吐いて止めるなんて考えが甘すぎるなって思ったから。 とはい

6月の月報ー気持ちは文章に表れる

今年も半分が終わった。早い。3月から始めた毎日noteも4か月目に突入する。あっと言う間だ。今月はどんなことを書いてきたかなぁと、1記事1記事読み直してみた。 6月の感想「これで良いのかな」とモヤモヤしていた気持ちが出すぎていて驚いた。自分が読みたいものを、と思って書いていたからだろうか、書いていた時の心境がそのまま表されているようだ。その中でも、なんとか現状を良くしようともがいている様子もあって、自分だけの日記を見ているような、フォロワーのいないtwitterにひたすらつ

毎日noteを書くときに大切にしていること

3月から #毎日note を始めたとき、心がけたことがいくつかある。それは、 ・“いいもの”を書こうと思わないこと ・伝えたいことを1つ、作ること だ。毎日素敵な文章に囲まれて過ごしていると、自分が書くものに自信が持てなくなってきてしまう。色々と構成を練って、いいものを書かなくてはと意気込んで、練りに練ったものをやっと出した時、それがあまり読まれなかった時の落胆は激しい。そんな風にハードルを上げないためにも、第一目的は「毎日書くこと」に主眼を置くことにした。 ただ、中身