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書き続けたら見えてきた

ほんの数年前は、誰かのエッセイを読んでも面白いと思うことが少なかった。

ふうん、とか、そう、とか、理解したんだかしてないんだかわからないような感想しか出てこなくて、小説ばかりを好んで読んでいた。誰かのいつもの日常を聞いても、なんだかしっくりこなかったのだ。

いま、村上春樹と星野源のエッセイを、同時並行でちょっとづつ読んでいる。

村上春樹のエッセイは、小説の時とは全然違う世界を描いているはずなのに、どこか著者らしさがしっかりと含まれていて面白い。坂道を転がるように止まらず読める文章のテンポがすごく好きだ。

星野源のエッセイを読むと、テレビの中にしか存在しなかった彼が、急に身近に感じられる。一人の人間として、ちょっと変わった友達の話を聞いているような雰囲気で読める。今までに増して好きになってしまっただけでなく、頑張れば会えるような気までしてしまい、もっと彼のことを知りたくなった。

youtubeを調べたり、googleで“星野源”と検索したり。すると、サジェストで“星野源 彼女”やら、“星野源 マンション”やら出てきて思わず覗いた。そこでやっぱり彼は芸能人だと痛感し、エッセイに戻ったのである。

今まで特に感想をもたなかったエッセイが、急に面白く思えたのはなんでだろうかと考えた。

エッセイの中では、日々の生活で、私が普段見落としている事柄が丁寧に紡がれている。公共料金の振り込み用紙が無くなったこと、レストランで隣の席の人が話したこと。「あ、そう」と片付けていた事柄が、くっきりきれいに描き出されている。

毎日noteに書くことが無いと騒いでいるが、書くことが無いんじゃなくて、見えてないんじゃないだろうかと思えた。だって、洗面所がビショビショになってしまったことから、1つのエッセイが書けるなんて考えもつかないから。

毎日何かを書くようになってようやく、「この目線で書けるってすごい」とエッセイの面白さが気づけてきたのだ。なんと気づくまでに、3年近く毎日書いていた。時間はかかってしまったけれど、世の中に「面白い」が増えたので、毎日note様様だな、と思う。


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