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わたし色で #毎日note300日目

星の数ほどの投稿がある中、訪問くださりありがとうございます。

先日の8月8日の新月は獅子座でした。
獅子座のキーワードは、自分自身、こう在りたいという自分です。

実は8日の真夜中から、憂うつというか、虚しさとういうか、何とも言えない気分になってしまい、4日間ほどモヤモヤして、頭痛もあって。

そろそろ潮時かも?と頭をよぎったとき、直後に役割が終わったんだと言うことが分かってしまって。役割が済んだのなら続けることに意味はないとも思ったし、実はやめるなら事務手続き上、ギリギリのタイミングでもあって、何かを始めるときもやめるときも相談はしないので、口に出したときにはほぼ決まってるのが今までのパターンだから、今回もそうなるのだと思ってました。

やめるかどうかのことは関係なく、別のことである人に聞きたい事があって連絡をして、そしたら脾臓まで痛み出し、話しの流れで「やめたい気持ち」と伝えたのです。
そしたら、「目的を果たしたら、好きに自由にすればいい」って返ってきて。

それで思い出せたのです。

4年くらい前に、夫が先輩の営業する居酒屋さんに連れて行ってくれたとき、お酒も入っていたから、先輩が「奥さんのどこが好き?」って、ま~定番の質問をしてきたのですよ。
そのとき夫は「色々やってくれるところ」、「優しいから、口ではやらないといいながら、結局いつもやってくれる」って答えてて。
そのとき、半分嬉しく、半分はムーンだったのです。
わたしは、そこに存在意義を見出しがちだからこそ、そこに自分の価値を置くことを、けっこう手放してきていたから。
そこに存在意義を見出すことの方が実は簡単なのです。

だからそのときに、今世、生きているうちに、夫に一度くらいは「本当になにもやらない、なにも出来ない、どうしようもないやつ」って言わせたい!って、それが目標だな~って思ったのです。
というか、遡ると、結婚するときに「主婦になっても、家政婦になる気はない。家事だろうがなんだろうが、やりたくないことはやらない」って言ったのは自分だった。
何かができる事を条件にしないと居られない場所なら、要らないと思ったから。
なんだ、わたしずっと分かってたんじゃんね~w

それなのに、自分で勝手に「いい奥さん」「いいお嫁さん」と言われたくて、そこに居場所を求めて、心とからだから強制終了掛かるまで頑張り続けたんだから、自作自演としか言いようがない(汗)

それから去年、どこかで書いたんだけど、病気を克服したすごい人とか、この年齢になってもチャレンジしている偉い人になりたい訳じゃなく、むしろその逆の「あんなんでも、なんだか分かんないけど幸せそうだから、自分も大丈夫」って思ってもらえるようなポンコツになりたいみたいなことを書いたんだよね。

今回は、これ↓の集大成みたいなところもあるかな、そよ風くんの言う「そもそも人は、無価値な存在」ってこと。


本来の目的を思い出したら、わき腹の痛みも頭痛も治まって、あの憂うつな気分は何だったんだ?ってくらいw
わたしの心とからだって正直すぎるw

自分を病気にすることで、何の役にも立たなくてもいいんだって分かったはずだったのに、長年染みついた思考ぐせってなかなか抜けきらないものですね。
*その経緯については良かったらこちらを読んでくださいね↓


純粋に応援しているときは良かったけれど、何かの誰かの期待に応えるために、応え続けるために、期待を裏切らないために、それをわたしの中心に持ってきてしまっている状況に傾き始めていたのです。

獅子座は脇役じゃない、自分が「主人公」だから。
そんなタイミングに改めて亡き父、お義父さん、叔母さんからの「わたしの人生は、わたしのもの」「心が真に望んでいること」「無条件の安心感」のメッセージが後押しでした。

目的を思い出し、さらに過去を丁寧に振り返って見ると、脾臓が痛んだのは、今回が初めてではなくて。
やっぱり5年くらい前に、そのときは今回の比じゃないくらい左わき腹が痛んで、何をしても、それこそ息してるだけで痛かったので、もだえ苦しんでいて、夫の母からは「軽い疲労骨折では?」と言われたのです。
なかなか寝付けないから、何日も保冷材で冷やしていたのを思い出しました。

この時は、とあるグループのチームリーダーに望まずもなってしまい、周囲の評価と本来の自分がやりたかったことってこれだったっけ?の狭間で日に日に居心地が悪くて、やめることを決めた頃でした。
「わたしの存在意義が!」「わたしの居場所が!」って無意識が抵抗していたのですね~。
この時の抵抗を思えば、今回の脾臓の痛みは数十分くらいだったので、軽かったけど。

もっと振り返ると、子どもの頃から、同じようなことを手を変え品を変え繰り返していたことが分かりました。

なぜか子どもの頃から、月星座牡牛座の「愛され上手」「受け取り上手」の恩恵か、周囲の大人から高い評価を得ることはそんなに難しいことではなかったようです。
学校の先生だけじゃなく、よく知らない友だちの親からの信頼や評価まで高かったり。
大人になってからも、年上からの思いもよらない引き立てがあったり。
以前も書いたことがありますが、月星座牡牛座の性質的なことが嫌いだったので、否定して抑え込んでいた時期が長く、素直に受け入れて活かすことが出来てきたわけではなかったから、今までずっとそうだったことに気づけていませんでした。

その上、長女で可愛げがないから年上にはあまり好かれないという思い込みもありましたし、今もその思い込みからは抜け切れていないかもw
月星座のことはもう大丈夫で、かなりラクに生きられるようになったと思っていたのに、まだこんなのが出てきた!!みたいなww

余談ですが、ヘリオセントリックには月星座はありません。
月は潜在意識を表します。
顕在意識も潜在意識も同じ自分であるのだから、統合されていることが前提なのです。
だから、ヘリオセントリックのホロスコープを使いこなせるようになるためには、ジオセントリックの月星座と折り合いがついていることがカギとなると言えるかもしれません。
わたし自身、月星座の牡牛座の性質を受け入れられるようになってきた頃にヘリオセントリックに出会って、自分の中でしっくりきて、面白いと感じることが出来たので。

話しを戻すと、その恩恵が怖かったのだと思います。
最初は純粋に楽しかったり、相手を思う気持ちでの行動だったりしただけだったのに、なんだか騙してその居場所を得ているように感じて、期待を裏切らないことを求められ、急に失うことが怖くて。

ジオセントリックで言うと、自分の居場所・心の安らぎを示す4ハウスが、冥王星(死と再生、変容)にあって、心の底に消えない記憶となって刻まれる大きな変化を経験する人が多いと言われているから、無意識に急に失うことを感じていたのかな。

家でも外でも、期待に応え続けなければ、そこに居続けることが出来ないことが悲しくて淋しくて辛かったのだと、やっと分かりました。
家でも外でも、本当の居場所がない気がしていました。
だからメッキがはがれて、急に「おまえはもう要らない」と言われるくらいなら、自分からやめるか、頑張り続けて強制終了を迎えるかの繰り返し。

そんなんだから、物心つく頃から、いつもどこか具合が悪くて、体調がイイという感覚が分からないのです。
小・中学生の頃は、よく神経性胃炎になってたな。

今までと今回が大きく違うのは、自分の本当の目的を思い出せたことで、まだ目的を果たせていないから、続けて行こうと決められたことです。
しがみつくでもなく、わたしがやらなければでもなく、ましてや期待に応えるためにでもなく、それでも居続けてみる、今までやったことない試み。
安心感が満タンになるまで、休んだらいい。
満タンになったら、また自然と純粋な気持ちで動き出せるから。

過去を丁寧に振り返ることで、どうしてあのときそういう行動に出たのか、どうしてある言葉が気になって仕方ないのかなど、過去のパターンに気づけ、気づいたことで、切なくも過去が癒されていくのを感じ、それに伴って、身体が今でも抱えている線維筋痛症の痛みもまた1つ、溶けて行くのを感じています。

「目的を果たしたら、好きに自由にすればいい」と言われた直後は、社交辞令にも引き止めるなり、もうちょっと優しい言葉かけがあってもいいじゃん!って思ったんだけどw
丁寧に過去を振り返り、時間が少し経ったら、引き止められたらやめてただろうし、あなたの自由だよだけでも、どっちにしてもやめてたことが分かって、「目的を果たしたら」、この言葉じゃなければダメだったことに気づき、ジワジワと今になって優しさ感じて、うわぁ~ヤバイ!ってなってます。

その人が意図していたかどうかは分かりませんが、こうやって人は勝手に優しくないと思ったり、優しいと思ってみたり、気づいたり、癒されたりするものなのです。
どうにかしてあげよう、どうにかしなければ!は、必要ないのでしょう。
それが「エゴ」なのだそうです。

悠華さんに言われたのです、「みほさんに起こる現象が厳しめで、、、それは取り巻くすべてからの愛なのですが」って、これ、初めて会ったときにそう感じたんだって、悠華さん、すごっ。
ホント、この1年の展開が早すぎて、身体は物質なので、ちょいちょい追いつかないという(汗)

そう、だから、あのとき誰に何されてどうだったとか、こうして欲しかったということが言いたいのではないのです。全ては愛ゆえだと分かっているので。


音楽をかけたのは久しぶり。
この曲、泣けます~。
以前、聞いたときにはそんなことなかったのに。

友だちの子どもに、キャラクターグッズのお店で、「なんでもいいよ、1つだけ、値段関係なく、役に立たなくていし、くだらなくていいから、ただ好きなものを選んでね」って言ったことがあるけど、あれは自分にも言っていたんだな。

8日の新月、ライオンズゲートが最大に開いた日、ヒーリング中に見えた色は、イエロー。
もっともっと楽しいことだけ、好きなことだけしか出来なくなっていいんだよのメッセージだったのだと思います。

まっさらになりたかった若いときとは違うの。

わたしのオーラ―の色は、ピンク・グリーン・イエローだから、愛と癒しと、「あとは楽しむだけ」。

勝手に300日チャレンジ!と思って始めたnoteの投稿、noteでつながって下さったみなさまのおかげで飽きっぽいわたしが今日で達成できました。
本当にありがとうございます。
これからももっと、自分が好きなことを発信して行けたらと思っています。

noteを始めたときから、「気づき」とは、発信者の意図とは関係なく、受けての力で勝手に起こるものだと思っていますし、所詮、わたしはわたしのことしか分かりませんし、わたしの経験しか知りませんから、何か有益な情報を提供しよう!とは思ってません。
というか、できません.

だからこれからのnoteの発信の目標があるとすれば、究極は、好きだけど「どうでも良い、くだらない、何の役にも立たない内容」を書けるようになりたいと思っています。
なかなかハードル高いよね、「どうでも良い、くだらない、何の役にも立たない内容」を書くってww
少しずつでも、そういうのが書けるようになったらイイなって思ってます。

こうやって書いていて気づいたのですが、目的を思い出した日は12日、ライオンズゲートが閉じる日だったのです。
導きに感謝です。

そんな12日に友だちから「バージョンアップ、おめでとう!」と言われたんだけど、わたし的には確かにアップ、だけど周囲にしたら大幅ダウンに映るだろうから、めでたくないかもよ〜と心の中でつぶやいてましたww

今日も一日お疲れさまでした☆
大地と宇宙のエネルギーを取り込んで、わたしからのマゼンタ色の愛をミックスして送ります♡

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