大人になっても、子供でいさせてくれる人。
昨日、数年ぶりにスーパー銭湯に行ってきた。というか連れて行ってもらった。私の母の親友に。その人は昔仲の良かった、私の幼馴染の母親でもある。小さい頃から「おばさん」と呼んでいたけれど、それは私が四十代でその人が七十代になった今も同じだ。子供時代はよく、母、おばさん、幼馴染、私の四人で遊びに出かけた。プール、アスレチック、水族館、温泉旅行。細かいことは思い出せないけれど、大人二人が一緒だった安心感の中で、幼馴染と私がのびのびと目に映るもの、触れるものを存分に楽しんだ感触は残っている。
日記をつける習慣はないけれど、ちょっと覚えておきたい一日だったので、noteに残しておこうと思った。
おばさんと二人で出かけたのはこれが初めて。きっかけは母の残した二冊のスーパー銭湯の回数券。母はそこへ湯治のために通っていたようだった。その銭湯は車で三十分ほど運転しないと行けない場所にあった。電車やバスなど他の交通機関のアクセスもあまり良くない。ペーパードライバーの私には縁のない場所だと思った。だからまるまる使っていないその回数券を、銭湯と運転好きのおばさんに譲った。一冊はもらってくれた。でももう一冊は「運転の練習で行けば? それかお父さんに運転してもらって家族で行けば?」と返されてしまった。
さて、それから五年以上が経過した現在。車を運転することも、家族でその回数券を使う気配も全くないと改めて悟った。その間、果物や野菜のお裾分けをし合っていたおばさんに改めて回数券をもらってほしいと打診したところ「じゃあ私が運転するから、一緒に行きましょう」となった。
そして昨日の朝、家の前まで迎えにきてくれたおばさんの車の助手席に乗り込んで出発。
最初に母の墓参りに立ち寄ってくれた。墓前にはお酒好きな母のために缶ビールが。そしてこの時季、すぐに萎れてしまう花の代わりに、可愛い造花が供えられていた。娘の私より、よっぽど足繁くこの場所に通ってくれているおばさん。線香に火をつけ手を合わせると、母に、私と銭湯に行くことを報告し、感謝を伝えていた。
道々、おばさんは車を運転できることが、どれほど便利で楽しいかを説く。私に「せっかく免許持っているんだから、活用しないなんてもったいない」と力説してくる。「やめて、洗脳しないで!」と、私はその話題には渋い顔をつくって同意しない。だって猫だってたぬきだって人間だって飛び出してくる。運転が怖いんだ。免許証だってゴールドのまま返納しようと思っているくらいだ。
だけど、“八十、九十のお年寄りが、車を自分で運転できるおかげで行動範囲が大分違うし、活き活きしている”“いずれ親の病院の送迎にも役立つ”“買物するにも物量を気にしなくていい”と利点を並べられると、ほんの少し心が揺れる。
そして「あなたのお母さんに教えてもらったおかげ」「すごく感謝してる」と言う。私の母は生前、運転初心者だったおばさんの車に同乗し、助言したり道を教えたりしていたらしい。
とはいえ、頑固な私はとりあえず“免許返納はもう少し待とうかな”が譲れる精一杯。ああ、このビビリ症、本当に治したい。
おばさんの運転は安全そのもので、三半規管が弱めの私でも全く酔わなかった。おしゃべりしているうちにいつの間にか到着していた。
久々のスーパー銭湯。そこは、よく母に連れて行ってもらった大きな自然公園の近くで、外観を見たことは何度もある。でも入館するのは初めて。温泉旅館みたいな木製の大きな門をくぐり、引き戸を開ける。サンダルを脱いで靴箱に入れ、広い吹き抜けのロビーに出る。平日なのにわりと人がいた。主に年配の方々。女性だけじゃなく男性も。正面に大画面のテレビがあり、食堂やゆったりした休憩スペースが広がっている。みんなくつろいでリラックスした雰囲気が漂っていた。受付を済ませ、お風呂へと向かう。
あの黒くてゴツいマッサージ機や、ガラス戸からのぞく砂利敷きの中庭を横目に、えんじ色の暖簾をくぐり抜ける。ロッカーの配置された脱衣所に入ると、ああ、懐かしい雰囲気‥‥と気分が高揚した。初めて訪れる場所でもやっぱり銭湯は銭湯。好きな雰囲気だ。
湯気で曇った浴室内。お湯の注ぐ音。人が桶を置く音。窓は開け放たれていて、外の湯に入る人たちの様子も見える。一人で静かに入る人。何人かで固まっておしゃべりに興じる人たち。サウナから出てきて水風呂に向かう人。当たり前だけどみんな裸で、自分のペースでお風呂を楽しんでいる。
洗い場で軽く身体を流し、おばさんと一緒に外の湯へ。案外ぬるい。そこは炭酸風呂で、しゅわしゅわした感覚はないけど、ふとお腹や脚に視線を落とすと、細かな泡がびっしり付いていた。ぬるさが気にならなくなると身体の内側はホカホカしてきて、いくらでも浸かっていられる感覚に陥った。
外の湯の岩場には、点々と間接照明が置かれている。この照明が点灯する時間帯、屋根のない空には星がたくさん見えて、きっとすごく幻想的な雰囲気になる。二人で想像して素敵だろうね、と言い合った。
おばさんはしきりに「ああ〜最高」「幸せだぁ」と口に出しては、見えない私の母に「◯◯さん、ありがとう」と感謝を伝えていた。
ジェットバスも壺風呂も、よもぎサウナも良かった。特によもぎサウナは蒸気がふんだんに噴出されて、普通のサウナより苦しくないし、いい匂いだった。暑さにも耐性のない私は長時間入っていられなかったけれど、十分堪能した。
石の枕に寝そべって、一センチほどしか張っていないお湯に、仰向けに身体を浸せる一画も心地よかった。目線の先には空が広がっている。タオルを身体にかけて、耳元でチョロチョロとお湯の流れる音を聴きながら、目を閉じて一眠りできそうだった。隣で寝そべる若い女の子たちが、ドラマや職場の人間関係のことを話している声が、BGMのように耳に入ってきた。いい時間だった。
おばさんは銭湯仲間とばったり出くわしたらしい。脱衣所のロッカー越しでもよく通る、からっとした声で、私は状況を把握した。人が好きなんだとわかる、明るい声。
一緒にお風呂を出て、見物しようと建物のニ階へ上がった。お風呂上がりの素足に畳や木の感触が気持ちいい。二階はぐるっと大きな窓に囲まれていて、開放感があった。飲み物やアイスの自動販売機と休憩スペース。小上がりの畳スペースには座布団を枕に、横になっている人もちらほらいた。窓からは山や畑が見渡せて、橋を渡る車の流れも一望できる。お風呂でさっぱりして、自然の多い景色を見て、なんだか小旅行に来たみたいだった。
一階でおばさんは私に、ザクロジュースとお昼をご馳走してくれた。二人で梅おろしそばを食べた。冷たくてさっぱりしていて、今食べたいと思ったものにぴったりだった。おいしかった。ご馳走様でした。
外に出たらぬるい風がぶわっと身体に触れた。どんよりした曇り空をおばさんは「ちょうどいい天気だったね」と言う。確かに最近のサウナみたいな蒸し暑さよりよかった。
帰りは別の道を通った。青々とした田んぼ沿い。「あっ!シラサギ」と運転しながら目ざといおばさん。お友達のうちや、潰れてしまった銭湯、評判のお店をその都度教えてくれる。途中ポツポツと雨も降ったけど、地元に着く頃には空は少し明るくなってきた。「はぁ、よかった。無事に帰ってこれた」と明るく言うおばさんは、長時間の運転に疲れたそぶりも見せない。家の前で私を降ろすと「ありがとう。また行こうね」と、運転席から手を振り、爽やかな笑顔で帰っていった。
しんとした誰もいない家でエアコンを入れ、自室のフローリングの床に寝っ転がる。ゆっくりと深呼吸。ああ、幸せ。そのまま小一時間ほど昼寝してしまった。目覚めた時は、小さい頃、プールで遊び疲れて眠った後みたいな余韻が残っていた。
車の送迎に加え、ご飯まで奢ってもらって。何の不安もなく、大人にくっついていればいいなんて。いい歳をして、私は一体いつになったら大人になれるのだろう。そう思いつつも、こうしてまだ自分を子供でいさせてくれる、人生の先輩の存在がどれだけ心強いことか。
最高。おいしい。幸せ。ありがとう。
そういう言葉を、おばさんのように素直に口に出せる人になりたいと、心から思った。
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