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私が子どもを好きな訳

世の中には様々な素敵なものが溢れている中、
私が特に何故、子どもに注目するのか考えてみました。

それは何より、子どもの発想に感動させられることが多いから。
そして子どもの無邪気な素直さは、私を優しい気持ちにさせてくれます。
私は、子どもを育てたりより良い方向に導いたりする以前に
子ども達に生かされているのだと感じます。
子ども達の笑顔に会った時、私は最高に満たされます。
この世から”子ども”の存在がなくなったら、どんなに淋しい社会になることでしょう。

そんな世の中でキラキラと存在していくはずの子どもが、
強い力で抑圧されたり、あらぬ方向で否定されたり、
また、キラキラした原石のような子ども達の心や身体が、
心ない大人達に置き去りにされたり、傷付けられたり。。。

そんな悲しいことがあって良いのでしょうか?
答えは明らかで言うまでもありません。


私は保育士と言う仕事を始めて丸4年しか過ごしていませんが、
これまで大規模保育園を中心に3つの保育園を見てきたので、
何百人と言う多くの子ども達に出会って来ました。
その一人一人を忘れることはなく、きっかけがあれば際限なく思い起こされます。そして、去って来た園のその子達を胸の記憶の中で抱きしめたくなります。キラキラと輝く原石。

私が発達支援に目を向けたのは、そんな中で出会った子ども達がきっかけでした。保育士になる前は、発達障害と言う診断名は、耳にしなかったように思います。その呼び名は、時代の流れの中でさまざまに変化して来ました。

ある5歳児クラスのASD(自閉症スペクトラム)の診断が下りている男の子Kちゃんの事を記録した日記を見返していました。Kちゃんは、週5日間の内1日は、午前中療育センターに行ってから保育園に通園することもありました。

その日は私とKちゃんとの出会いの日でした。
その保育園に始めて勤務した私は、そのクラスの加配担当でした。
4月1日の入園式の日。在園生としてそのKちゃんも後ろの席に座っていました。その背後には、入園児の保護者が参列されています。
多動気味なところもあり、席を立ってしまうことがあるので、私はKちゃんの側についているように担任の先生に言われました。

入園児の名前が一人一人呼ばれて紹介されている時、Kちゃんは自分の名前も呼ばれるのかと気にしていました。「Kちゃんの名前も呼ばれるの?」
私にそう聞くので、私は、「Kちゃんは呼ばれないよ」と優しく言いました。もしかしたらそれが初めてのKちゃんと交わした言葉だったかもしれません。
そうするとKちゃんは「何で!?悪いから!?」と聞いてくるのです。
式の最中なので私は小声で簡単に入園式の説明をしましたが、ハッとしました。あぁ、、、Kちゃんも自分のことを「悪い子」と思わせられるような対応をされたり、そう感じる経験をしたことがあるんだな、と。

多くの子ども達は、何で自分だけ怒られるの?何でこれやっちゃいけないの?何で?何で???自分は今これがやりたいのにー!と葛藤とストレスを抱えています。そんな経験から「自分は悪い子?」と大人に問いかけたくなるのです。

今では、発達障害の子どもの対応について、学びを重ねる保育園も増えて来たことと思います。そう願いたいところですが、まだまだほんの数年前、私の勤務していた3つの保育園の最初の2つの保育園では、大人の意見が正しい、保育士が正しく導いていくんだ、と言うような風潮がありました。今思うとどの保育士も”その子どものためを思って”対応していることだったのでしょう。ですが、発達障害の子どもの受け止め方として、誤った対応をしてしまうところの方が多かったように思います。

保育園では、今、発達障害の子どもが増えています。理由は色々、分析されるところでしょうが、それが現実です。
その子ども達の生きづらさになるところを「自分は悪い子」と思わせない関わり方をしていきたいものです。

11月から私は、引越し先で新しい保育園で勤務します。
また多くの子ども達との出会いが待っています。そんな中、今までその子ども達を保育されて来た保育士さんの思いを引き継ぎながら、私も模索していきたいと思います。

子どもがキラキラと無邪気に輝ける
そんな社会でありますように願いを込めて。

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